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「自分は自分だと思ったこともないので……」大谷翔平が振り返る“『雄星はこうだった』とよく言われた高校時代”
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph byJIJI PRESS
posted2021/08/11 17:00
「岩手から日本一」のボードの前で意気込む大谷翔平(2011年撮影)
「もし僕が1年生で入ったときに雄星さんが3年生でいて、3年生の雄星さんを見ながらやって、僕が3年生になったときにそういうふうに(菊池の育て方を参考書として)やってもらったのなら僕にもわかったと思うんですけど、僕はその(菊池の育て方の)過程をまったく見ていないので、何がどうなっていたのかはわからないんです。ただ、監督から『雄星はこうだった』ということはすごく言われましたし、それはよかったと思っています。嫌だなと思ったことは一度もありませんし、プレッシャーだなと思ったこともありません。自分は自分だと思ったこともないので……」
自分は自分だ、と思ったこともない――。
じつに大谷らしい発想だ。
菊池は岩手からの日本一を近づけてくれた存在で、その菊池が果たせなかった日本一を自分の手で成し遂げたい。菊池とは違うとか、自分は自分だとか、誰かと比較をする世界に彼は生きていない。大谷が考えているのは、いつもシンプルなことなのだ。
岩手から日本一へ「十分イケるなと思っていました」
「岩手から日本一になれるという気持ちは、遡れば花巻東が最初に甲子園に行ったところから始まっていると思いますけど、日本一まで行けそうだなって岩手の人たちが本当に思ったのは、あそこ(2009年のセンバツで準優勝、夏にベスト4)だったんじゃないですか。
ただ、僕はシニアのときには岩手にもいい選手がいっぱいいると思っていましたし、全国レベルの選手が一つの高校に集まれば日本一、十分イケるなと思っていました。彼らがいろんな高校に散ってしまえば、高校の監督だけの指導で一から伸ばしていくのは3年間では短すぎると思いますけど、(岩手県の)沿岸にはとくにいい選手がいっぱいいましたからね。身体が強い子も多かったし、小っちゃい頃に技術指導を受けていれば、全国で戦えるレベルに育つ好素材の子どもたちは、岩手にもいっぱいいると思います」
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