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「自分は自分だと思ったこともないので……」大谷翔平が振り返る“『雄星はこうだった』とよく言われた高校時代”
posted2021/08/11 17:00
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph by
JIJI PRESS
高校時代から夢見ていたメジャーリーグの舞台で、よもやバッターとして活躍するとは自分でも思っていなかった。すべての道に通じていた、花巻東での学びを語った。
〈初出:2019年7月25日発売号「〈自律の3年間を語る〉大谷翔平 『楽しい』より『正しい』を」/肩書などはすべて当時〉
今年の夏の岩手大会。
大谷翔平の母校、花巻東は初戦で薄氷の勝利をつかんだ。花巻北を相手に3点をリードしながら9回表、一挙に4点を失い、逆転されてしまったのだ。それでもその裏、花巻東は同点に追いつき、最後はサヨナラ勝ち……岩手県でその試合が行われた翌日、海を越えたアナハイムではエンゼルスの大谷翔平と、マリナーズの菊池雄星という、花巻東を卒業した二人のメジャーリーガーが対峙していた。まずは大谷に花巻東の初戦の結果を知っているか、訊いてみた。
「いや、全然、知らないです。そうなんですか、危なかったんですか。それ、いつの話ですか。えっ、夏の大会? へーっ、マジか……危な(苦笑)」
大谷が振り返る7年前「僕が打たれて負けているのでね」
後輩のピンチを他人事のように笑ってみせたメジャーリーガーではあるが、彼の芯には今もなお、花巻東で培った魂が火照っている。18歳の大谷が甲子園を目指していた夏――今から7年前のことだ。
「思い浮かぶのは、決勝じゃないですか。マウンドから見た感じ……ああ、ファウルだなぁって(笑)」
やはり7年前の夏の、あの大飛球は今も大谷の脳裏に刻みついている。2012年7月26日、岩手大会の決勝で盛岡大附と戦った花巻東は3-5で敗れた。3回、ワンアウト一、二塁から大谷が打たれたレフトのポール際への大飛球。これがホームランと判定されて、最後の夏は岩手で幕を閉じたのだ。大谷が当時をこう振り返る。
「あの負けが教えてくれたこと……僕が打たれて負けているのでね、そこは力がなかったな、ということだと思います。だってアウトハイを引っ張られているんですからね。あのときはもう、こっち(アメリカ)へ来るつもりでいたので、今のこのプロセスは想像していませんでした。こういう(日本のプロ野球を経てメジャーへ来る)プロセスを踏んで、今、こうやって野球をやっているということは7年前には考えもしませんでしたね。7年……すごく昔に感じます。あっという間だったという感じはしません。いろいろありましたからね」