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カープファンに恋する情熱を学べ。
懐かしくて新しい「実家」のよう。 

text by

西澤千央

西澤千央Chihiro Nishizawa

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photograph byAtsushi Kondo

posted2020/07/13 11:30

カープファンに恋する情熱を学べ。懐かしくて新しい「実家」のよう。<Number Web> photograph by Atsushi Kondo

試合開催日、広島駅からマツダスタジアムに向かうカープロードはファンで埋まる。この日々が戻るのはいつになるだろうか。

カープは娯楽を超えて生活に。

 私があまりに真剣に読んでいるからか「よかったら、書いていって」とマダム。スターマンの青いペンケースを見られないようにこそこそ取り出し、私はこう書いた。

〈カープがうらやましいです〉

 そう、うらやましいのだ。他球団からの補強ではなく育成力でチームは強くなり、ファンはどんどん増えて、どの球場に行ってもビジター席を真っ赤に染める。市民球団という看板、市民が支える心意気と絆は、どこから来るのだろう。

「いやあ、暑いわ~。しっかし、カープ勝たんのう」

 焼うどん定食の後のコーヒーを飲んでいると、挨拶がわりに昨日の敗戦を嘆きながら男性が入ってきた。「昨日のヤケ酒がまだ残っとるわ、鍋焼きうどんくれんかの」。太田克也さん(70)、店の常連でマツダスタジアム年間パスを持つ猛者だ。現在の盛り上がりについて話をきいた。

「流れが変わったのは、黒田が帰ってきてからじゃ。お客さんは増えたし、家からユニフォーム着て球場に行く人も増えたわ。20億蹴って帰ってきてくれたんじゃけえ、その気持ちにみんな熱くなった」

 近くにいた別の常連さんが「黒田は漢じゃねえ」と領く。「しかし勝たんわ」と話は振り出しに戻る。太田さんは試合がある日は自転車でスタジアムに行き、帰りは一杯引っ掛けて帰る。「行かんと『どうした太田さん』って心配される」と笑う。カープが町の寄り合いの役目も果たしている。

「ずっと家にいるよりも、家内はええじゃろ。メシつくらんでもええから」

 カープが夫婦円満の一助にもなっている。それなのに「わしはカープ命じゃない」と言い張る。「他に何の楽しみもないけえ」。カープイズライフ。カープは、もはや「娯楽」を超えた「生活」なのだ。

応援団長を引退してもファン。

 この方もまさに「カープイズライフ」だ。色黒の肌に柔らかい笑顔が印象的な前康弘さん(74)、市民球場時代に左中間応援団を率いていた。「こっち(マツダスタジアム)きてからは引退しましたから」と言うが、変わらず熱烈なカープファンだ。

 30年以上前に友人たちと左中間スタンドで高橋慶彦の私設応援団を作ったのが最初。当時は内野も含めスタンドの各場所に小さな応援団があり、リーダーがいた。

「好きなもん同士が集まっただけ。わたしたちも最初は4、5人でしたよ」

 '97年に応援団を束ねる全国広島東洋カープ私設応援団連盟が発足。そこから応援団同士が横のつながりを深めていき、'09年にはマツダスタジアムが完成。前さんの左中間応援団はセンターファンクラブとの合併を決め、事実上の解散を選んだ。

「僕も年だし、球団の管理もきつくなってきてたしね。引退して、やっと試合をちゃんと観れるようになったんですよ」

【次ページ】 ファンであることを全力で楽しんでいる人が多い

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