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男子ジュニア世界一の望月慎太郎。
盛田ファンドの功績と評価の行方。
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byHiromasa Mano
posted2019/07/17 12:10
神奈川県川崎市生まれの望月慎太郎。3歳からテニスを始め、小学5年生の時に全国小学生テニス選手権大会でベスト4になっている。
「ずっとIMGでやりたいと思っているので」
ファンドの支援によるフロリダ滞在は1年ごとの更新で、9月から翌年5月までを1期とし、この間に定められている成績面での課題をクリアすれば滞在延長が叶うが、できなければ帰国だ。
望月はこれまで3回クリアしてきたということになる。錦織のようにプロになるまでクリアし続ける選手は一握りという状況の中、望月はウィンブルドンの会場でこう話していた。
「ずっとIMGでやりたいと思っているので、毎年クリアするためのプレッシャーはありますけど、クリアしたあとも油断しないで、いつもベストを尽くしてできるだけ多く勝ちたいと思っています」
錦織が語る、盛田さんへの思い。
盛田ファンドの仕組みがある程度知られるようになったため、1年や2年で帰国した選手にはこんな目が向けられることも確かだ。「ああ、課題クリアできなかったんだ」。その後、いつまでも芽が出なかったり、そのままテニスをやめたりすれば、さらに厳しい視線を感じることになるのかもしれない。
そういう状況を察してだろうか、盛田さんは「僕は、ほんとは誰も途中で帰したくないんです」と言う。今年のウィンブルドンでも日本ジュニアの試合を時間の許す限り観戦した盛田さんは、川口がシングルスの準々決勝で敗れた試合を最後に見て、帰り際の慌ただしい中で話をしてくれた。
「でも僕が一番うれしく感じているのは、1年、2年で帰らされた子たちも、テニスをやめてしまった子たちも、いつまでも感謝してくれていることなんです。どういうフィールドにいても、あの経験を生かそうとがんばってくれている。
もちろん、できるだけ多くの選手がプロになって世界で活躍するようになってくれればうれしいし、100位と言わずもっと上にいってほしいですよ。でも、支援した彼らのそういう思いを聞くことが一番のやりがいかもしれません。だから、僕は死ぬまでこれを続けたいと思っているんです」
そんな盛田さんを、錦織は「僕の中ではいい成績を届けたい一番の人」と言い、「いいニュースをあげられるようにがんばりたいですね」と続けた。また、「僕を超えるくらいの選手が早く出てきてほしい」と後輩に発破もかけた。
望月も「あんなお年(92歳)で、飛行機に乗るのも大変だと思うのに、毎回応援に来てくれてありがたいと思っています」と、優勝後のメインインタビュールームでの会見で感謝の言葉を語った。