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日本で進行するフライボール革命。
本塁打は狙うからこそ増えたのだ。 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2019/06/27 08:00

日本で進行するフライボール革命。本塁打は狙うからこそ増えたのだ。<Number Web> photograph by Kou Hiroo

横浜で野球塾を経営する根鈴雄次。マイナーリーグでの経験を活かし、「ホームランの打ち方」を指導する。

ホームランブームの到来。

 しかし大昔の野球では、フィールド内に強い打球を打つのが理想とされた。打ち上げる打者は「君というものはなぜ、あんなに打ち上げるのだ」と顰蹙を買ったりもした。

 20世紀初頭、タイ・カッブがぶいぶい言わせていた頃もその傾向は続き、当時のホームランは「四塁打」だったという。つまり、フィールド内に球が転がっている間に駿足を駆って帰ってくる、ランニングホームランだった。

 この常識を変えたのが、レッドソックスの左腕投手だったベーブ・ルースだ。彼は天性のフライボールヒッターで、ポンポンさく越えを打った。それが観衆の大人気になって、ホームランブームが到来したのだ。

 ルースはもちろん、当時としては並外れた大柄で力も強く、技術も高かったが、同時代に彼と同レベルの優秀な打者も何人かはいた。彼らはルースがアッパースイングでホームランを量産したのを見て「俺もやってみよう」と思ったのだ。

本塁打が急増した1920年代。

 1919年にルースが当時のMLB記録、29本塁打を放った時、ア・リーグ2位はフランク・ベーカーの10本塁打、ナ・リーグ1位はギャビー・クラバスの12本塁打だった。しかし1927年にルースがこの記録を60本に更新した時には、アの2位はルー・ゲーリッグの47本、ナの1位はハック・ウィルソンとサイ・ウィリアムスの30本塁打だった。

 MLB全体の本塁打数は1919年が447本、1927年が922本と倍増している。

「ルースみたいに打てば、ホームランは増えるんだ」ということに気が付いた打者たちが我も我もと本塁打を狙い始めたのだ。

 MLBは1920年以降、飛ぶボールを導入してホームランブームを煽ったが、それに乗じて打者たちもアッパースイングでさく越えを狙い始めた。これはルースに始まる「ホームラン革命」というべきものだろう。

【次ページ】 ベーブ・ルースも意識していた「角度」

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