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鈴木桂治、7年ぶり復活のち引退。
生涯柔道家として「100点」の戦い。
 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2019/06/17 11:00

鈴木桂治、7年ぶり復活のち引退。生涯柔道家として「100点」の戦い。<Number Web> photograph by AFLO

小外刈りや大外刈りを得意とする鈴木は、勝利した4戦すべてで一本勝ちを収めた。

「出場できる大会には出場したい」

 2014年の世界選手権では、選手たちのあまりのふがいなさに、100kg級でのエントリーを見送るなど厳しさをもって指導に臨んだ。その甲斐あってか、リオデジャネイロ五輪では100kg級銅メダル(羽賀龍之介)、100kg超級銀メダル(原沢久喜)と、成果を残すに至った。

 国士舘大学での指導とあわせ、指導者としての充実も見せていたから、鈴木は引退した選手と捉えられる面もあった。

 ただ、実は鈴木自身は引退とは語ってこなかった。「出場できる大会には出場したい」という意向を示していたのだ。

 柔道では、「生涯、柔道家」「一生現役」という姿勢を見せる選手は、まれではない。そこには「柔道は一生続けることができるもの」という思いも込められている。それも含めて、選手たちがそう意識し、言葉にするのは柔道の特性かもしれない。

 ときにそれが長いブランクを経ての復帰という形をとることもあった。2013年の全日本実業団体対抗では、1992年バルセロナ五輪78kg級金メダルの吉田秀彦が、約11年ぶりに復帰を果たしている。

生涯柔道家という思いがあるから。

 鈴木が引退とは言わずにきたのには、おそらく生涯柔道家という思いがあったのだろう。以前には「やり始めたらとことん続けることが大切だと思っています」とも語っており、言葉にその思いを込めている。

 第一線から退いても引退ではない、それが今回、形となったのは、後輩たちからの誘いがきっかけだ。団体戦だったら出てみても……という思いがふつふつと湧いた。

 新春に行った膝の手術や、指導者としての時間から練習には大幅な制限があったという。その中で可能な限りの準備をして迎えた大会を終えて、鈴木は今できることをすべてやったからこそ、「100点」と評価した。

 また、今後は大会に出ることはないともしている。明確な引退宣言となったのは、やりきったという思いからだろう。

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鈴木桂治

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