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長谷部誠が過ごした最高の1年。
クラブと街に愛され、築いた信頼。 

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島崎英純

島崎英純Hidezumi Shimazaki

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photograph byGetty Images

posted2019/06/09 12:00

長谷部誠が過ごした最高の1年。クラブと街に愛され、築いた信頼。<Number Web> photograph by Getty Images

苦しい台所事情のなか、躍進したチームを支え続けた長谷部誠。来季はフランクフルト在籍6年目のシーズンとなる。

ヒュッター監督が下した最高の決断。

 フランクフルトから勇躍バイエルンへステップアップしたコバチ監督は自らが野心家であることを隠そうとしません。フランクフルト時代から「必ずビッグクラブを率いる!」と公言していたそうで、「だから勝てよ!」と選手たちに発破をかけていたと聞きます。

 一方、昨季までスイスリーグのヤングボーイズを率いていたヒュッター監督は柔和な表情が印象的な紳士で、選手に対する気遣いを欠かさない人物だそうです。

 例えば、長谷部をスタメンから外したときも「今はこんな理由だから」と本人に丁寧に理由を説いたらしく、長谷部自身、コバチ監督とヒュッター監督のチームコーディネイトの違いを如実に感じたと言います。

 そのヒュッター監督にとって最高の決断だったのが、序盤戦の低迷を受けてシステムを4-2-3-1から再び3-4-2-1へ戻したことだと思います。それは、ELグループリーグ初戦のマルセイユ戦(フランス)。無観客試合のアウェー戦で2-1と快勝したフランクフルトは、そこで浮上のきっかけを掴みました。

 長谷部も、この試合でリベロに再度抜擢されて出色のパフォーマンスを見せ、ヒュッター監督から揺るぎない評価を受けることになるのです。

「シンジと寿司」から、今では「マコト」。

 この頃から僕の周囲が徐々に変化し始めました。それまで、バーやレストランに入ると「シンジ~、シンジ・カガワ~」と声を掛けられていました。ちなみにアウクスブルクやヘルタ・ベルリンなどでプレーした細貝萌(ブリーラム/タイ)は当時、スーパーで地元の人に「オォ、シンジ・カガワ! アクシュシテクダサイ!」と言われて面倒くさいので「ハイ、ハイ」と応じたことがあるそうです。

 ドイツの方々が日本という国から想像するものは香川真司、そして寿司。この2つが双璧なのです。

 しかし2019年2月、冷たい風が吹きすさぶスタジアムからの帰途で近所のバーへ駆け込むと、カウンターに立つママさんが「今日もマコトは良かったわね」と言って僕の眼の前にビールを置いてくれたのです。

 その横では、Tシャツの袖をまくり大ジョッキを口に運ぶおじさんが「エバン(エンディッカ)とマルティン(ヒンターエッガー)、そして、マコトのバックラインはブンデス最強だな」などと呟き、さっきまで行なわれていた試合のハイライトシーンを映すお店のモニターを見つめています。

 遠くではダーツをしているお兄さんたちが「マコトって今、何歳だっけ? 35? 嘘だろ? 俺より歳上じゃねーか」と大笑いしているのが聞こえます。

 このとき、ふと思ったのです。長谷部のことを誰も「ヤパーナー(日本人)」と言っていないことを。彼は我らがチームの背番号20、フィールドプレーヤーの最後尾に君臨する頼もしき選手。長谷部誠というプレーヤーが、純粋に、この街の人々から確固たる信頼を得たのだなと実感したのでした。

【次ページ】 熱い闘志を見せ続けた35歳。

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