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サートゥルナーリアは時代を作るか。
ディープの金字塔を塗り替えていく。 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byYuji Takahashi

posted2019/05/25 10:00

サートゥルナーリアは時代を作るか。ディープの金字塔を塗り替えていく。<Number Web> photograph by Yuji Takahashi

ロードカナロアというスプリンターを父に持ちながら、無敗の二冠馬に手をかけるサートゥルナーリア、規格外である。

同じ厩務員、調教助手、騎手と過ごした。

 レースが終わっても、次のレースまで放牧に出されることはなく、いつもトレセンで調整された。ダービーを5馬身差で圧勝したあと、北海道に移動したのだが、そのときも札幌競馬場の池江厩舎で夏を越した。

 つまり、ディープは、トレセンに来てから、種牡馬として北海道に戻るまでの2年4カ月ほどの間、ずっと、担当の市川明彦厩務員と一緒にいたのだ。毎日、水やカイバを与えたり、寝藁を替えたり、馬具をつけたり、体を洗ったりという世話を、同じ人間がつづけた。

 普段の調教では、デビュー前から池江敏行調教助手が跨りつづけた。

 そして、レースでは、14戦すべてで武豊が騎乗した。

 '06年秋に凱旋門賞に出走するためシャンティイに滞在したときも、市川厩務員と池江助手が普段から一緒にいて、追い切りとレースでは武が乗った。

 同じ人間たちと強く結びつき、互いに高め合いながら強くなった馬。それがディープインパクトであった。

サートゥルナーリアが接する多くの人。

 それに対して、サートゥルナーリアは、いろいろなホースマンと日常を過ごしながら強くなった。

 昨年の4月中旬、ノーザンファーム天栄を経由し、栗東・角居厩舎に入厩した。トレセンでゲート試験を受けて合格すると、5月の初め、ノーザンファームしがらきに放牧に出された。

 そして5月中旬、栗東に帰厩し、6月10日の阪神新馬戦に出走。4日後にノーザンファームしがらきに放牧に出され、2日後、ノーザンファーム天栄を経由し、故郷の安平町のノーザンファームに戻り、そこで3カ月以上過ごした。

 9月下旬、栗東に帰厩し、10月27日の萩ステークスに出走。その後もノーザンファームしがらきに放牧に出され、栗東との行き来を繰り返す。

 暮れのホープフルステークスを勝ったあと、今年の1月初めにノーザンファームしがらきへ。そこで心身をリフレッシュしてから乗り込まれ、3月中旬、栗東に帰厩。

 そして、4月14日の皐月賞をホープフルステークスから中106日で優勝。史上初めて、年明け初戦で皐月賞を制した。

 新馬戦と萩ステークス、ホープフルステークスではミルコ・デムーロ、皐月賞ではクリストフ・ルメールが騎乗し、ダービーではダミアン・レーンが手綱をとる。

【次ページ】 ディープとは「人間」の見方が違う?

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サートゥルナーリア

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