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サートゥルナーリアは時代を作るか。
ディープの金字塔を塗り替えていく。

posted2019/05/25 10:00

 
サートゥルナーリアは時代を作るか。ディープの金字塔を塗り替えていく。<Number Web> photograph by Yuji Takahashi

ロードカナロアというスプリンターを父に持ちながら、無敗の二冠馬に手をかけるサートゥルナーリア、規格外である。

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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Yuji Takahashi

 令和のクラシックのキーワードは「無敗」になるのだろうか。

 令和最初の競馬の祭典、第86回日本ダービー(5月26日、東京芝2400m、3歳GI)の発走が迫ってきた。

 先週のオークスをラヴズオンリーユーが優勝。13年ぶり、史上5頭目の「無敗のオークス馬」が誕生した。

 今週、サートゥルナーリア(牡、父ロードカナロア、栗東・角居勝彦厩舎)が勝てば、14年ぶり、史上7頭目の「無敗の二冠馬」となる。皐月賞に出走していない馬を含めると、史上11頭目の「無敗のダービー馬」ということになる。

 はたして、2週つづけて歴史的クラシックホースが誕生するだろうか。

ディープは引退まで一度も放牧されなかった。

 直近の「無敗のダービー馬」かつ「無敗の二冠馬」となったのは、2005年に圧倒的な強さで君臨したディープインパクトである。

 ディープインパクトは2歳時の'04年12月の新馬戦でデビューし、年明け初戦は1月の若駒ステークス、次は弥生賞、皐月賞と来て、デビュー5戦目がダービーであった。

 3歳になってから4戦目がダービーというのは、現在の感覚からすると1戦多いように思われるかもしれないが、当時はそれが普通だった。

 ディープが栗東・池江泰郎厩舎に入厩したのは、'04年秋のことだった。詳しく言うと、04年9月6日に、故郷であり、馴致・育成を受けた北海道安平町のノーザンファームを旅立ち、宮城の山元トレーニングセンターを経由して、9月8日に栗東トレセンに到着した。

 当時、ノーザンファーム天栄('11年開場)はまだなく、ノーザンファームは関東馬の外厩として山元トレセンを使用していたのだ。

 そして、入厩してからも、今の競走馬とはまったく異なる動きをしていた。ディープは、'04年秋に栗東トレセンに来てから、'06年12月の有馬記念を勝って引退するまで、一度も池江泰郎調教師(当時)の手元を離れたことがなかったのだ。

【次ページ】 同じ厩務員、調教助手、騎手と過ごした。

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サートゥルナーリア

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