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“仙台のヘリコプター”中原貴之、
ユアスタの伝説と手を抜かない姿勢。 

text by

杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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photograph byJ.LEAGUE

posted2019/05/06 17:00

“仙台のヘリコプター”中原貴之、ユアスタの伝説と手を抜かない姿勢。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

中原貴之が伝説となった2009年の湘南戦。写真で見ても驚くべき打点の高いヘディングだった。

梁勇基も驚いた「ヘリコプター」。

 80分の同点弾は山なりの左クロスをファーサイドで待ち構え、相手DFよりも頭2つほど飛び出た高い打点から叩きつけてネットを揺らす。

 後半アディショナルタイムの決勝点は、ハーフウェーライン付近からの右アーリークロスを頭で叩き込んだ。ペナルティーエリアにぎりぎり入った場所から空中で上体をひねり、ゴール右隅上へ。あのとき、同じピッチに立っていた梁勇基は、目を丸くしていた。

「タカ(中原)で思い出すのは、あのナイトゲームの湘南戦。展開も奇跡的やったし、特に2点目のシュートはとんでもなかった。打点は高いわ、飛距離もすごいわ、びっくりしました。タカのヘディングはとにかく滞空時間が長かった。僕の中の“ヘリコプター”はイバン・サモラーノではなく、ナカハラ・タカユキです」

 梁勇基とその友人たちは、レアル・マドリーなどで活躍した空中戦に強いチリ代表FWの異名を中原に付けて、そう呼んでいた。本人が意識していたのは、相手よりも先に跳ぶこと。そうすれば、「ほとんど競り勝てた」と。もちろん、一朝一夕で身につけたものではない。クロスからのヘディングシュートの練習は、毎日のようにこなした。

「絶対に負けてはいけないところだったから。負けたら、僕の存在価値がなくなると思っていたので。コーチやチームメイトに付き合ってもらって、すごい感謝しています」

手倉森監督から重宝される一方で。

 絶対的な武器を持つ切り札として、手倉森誠監督(現V・ファーレン長崎)に重用されていたが、本人の心境は複雑だった。

「ジョーカーと言われてもいい気持ちはしなかったです。やっぱり、先発へのこだわりはずっとありましたから」

 途中出場で結果を残しても、ベンチスタートが続く。リーグ戦のピッチに立った次の日には、必ずと言っていいほど練習試合に出場していた。'09年11月8日、第48節・アウェーの水戸ホーリーホック戦でJ1昇格を決めた翌日もそうだ。

 試合後、スタメン組は仙台に戻り、サブ組はバスに揺られて、大宮に遠征。杜の都が7年ぶりのJ1昇格に沸いた夜、中原は地元テレビ局の取材を断り、遠く離れたホテルであっさりとした食事を口にしていた。

 もちろん、祝杯もあげていない。練習試合に備え、すぐに就寝。体調を整えて臨んだトレーニングマッチには前半だけ出場し、しっかりゴールを決めた。

【次ページ】 不満を抱えてもパワーに変える。

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