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大阪桐蔭時代のライバル投手が贈る、
「背番号1」藤浪晋太郎へのエール。
text by
谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph byAsami Enomoto
posted2019/05/04 08:00
藤浪晋太郎、澤田圭佑の2人に次ぐ存在だった平尾奎太。社会人野球でその実力を磨く日々だ。
「甲子園でさえ“自分の場所”」
来たる、最後の夏。平尾の調子も徐々に上向いてきた。予選前には144kmと当時の自己最速を記録。大阪府予選では2試合に登板し、5回戦の生野工業戦では完封勝利を挙げている。だが、ライバル藤浪は春よりもさらにパワーアップした姿へと成長していた。
2回戦からの登場となった夏の甲子園では打線も噛み合い、秋の近畿大会で敗れた天理にリベンジを果たすと、藤浪は屈指の勝負強さを誇る明徳義塾を2安打完封。3回戦の済々黌戦では澤田が完投したが、それ以外の決勝を含むすべての試合のマウンドには藤浪が立っていた。
「藤浪はどんな状況でも狙って三振を取れる。大観衆の甲子園でさえ“自分の場所”と思っているような雰囲気でした。正直、高校生相手じゃ打たれないだろうな、こういうピッチャーがプロに行くんだろうなと思っていました」
思えば、入学当初のキャッチボールから藤浪はずっと変わらなかった。伸びのある直球、鋭角に消える変化球、無尽蔵のスタミナ、体のしなやかさ、藤浪の凄さを語る術はいくつもあるだろう。ただ平尾は、間近で見てきたからこそ、その動じない芯の強さこそ、エースの証だと悟った。
「夏はやれる自信があった。でも、今振り返ると、当時の自分には藤浪のような余裕はなかったと思います」
平尾に出番はやってこなかった。目の前にあった甲子園のマウンドは近いようで、遠かった。
野球に引き寄せた背番号1の姿。
その後、平尾は同志社大学に進学するも、高校時代の無理がたたり、治療に専念することになった。野球ができない時間は2年間続き、将来に備えて教員免許の勉強も始めていた。
本格的な復帰は大学3年。「プロに進むには遅すぎる」という声も聞こえる中、平尾は徐々に頭角を現していく。大学4年秋には関西学生リーグのベストナインに選ばれるなど、目に見える結果も残した。社会人野球を経験した今では「いつか自分も同じ舞台に」と言葉にできるほど、野球と向き合えている。
「自分もやってやろう。いや、やらなければいけない」
平尾の気持ちを再び野球へ強く引き寄せたのは、甲子園のベンチで感じた悔しさと、紛れもなく、最強のエースとしてマウンドに立ち続けた背番号1の姿であった。