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大阪桐蔭時代のライバル投手が贈る、
「背番号1」藤浪晋太郎へのエール。
posted2019/05/04 08:00
text by
谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph by
Asami Enomoto
6年後のいま、社会人野球で復活を遂げようとする平尾が、今も追いかけるライバル・藤浪の姿を静かに語り始めた。
Number959号(2018年8月16日発売)の特集を全文掲載します。
2012年8月23日、第94回夏の甲子園決勝。史上7校目となる春夏連覇を目の前にした藤浪晋太郎は、いつもと変わらぬ表情でマウンドに立っていた。
3-0で迎えた9回表、2アウト。対する光星学院(現・八戸学院光星)の大杉諒暢を淡々と追い込むと、ふっ、とひとつ息をついた。藤浪が投じた127球目は152kmのストレート。空振り三振。4万6000人が沸き立つ中で、197cmの長身はひときわ存在感を放っていた。
そんな背番号1の姿をベンチから見つめる選手がいた。平尾奎太。のちに社会人野球のHonda鈴鹿のエースとして活躍する、188cmの大型左腕。今年のドラフト注目株の一人でもある。
この年の春の選抜大会決勝でも両校は相まみえている。藤浪は勝利をもぎ取るも、好打者が揃う光星学院に12本ものヒットを許した。
だが、この夏の再戦ではキーマンとなる4番・北條史也(現・阪神)を序盤で3球三振に打ち取るなど、リベンジに燃える相手を寄せ付けず、2安打完封。夏の甲子園決勝史上最多タイとなる14三振を奪う、最後まで隙を見せない完璧な投球だった。
平尾は同学年のライバルとして、藤浪の力投を素直に褒め称えた。
「夏の決勝では田村(龍弘、現・千葉ロッテ)と北條から2個ずつ三振を取っていました。あの2人は同じ大阪出身なので、互いを知る間柄。余計に力んでしまう状況でも、堂々と投げていました。最後の一球までボールが強かった」
「平尾よりもでかいやつおるで」
藤浪と平尾の出会いは12歳、小学校最後の大会の開会式。初戦で戦う相手を探していると、頭ひとつ飛び出た選手を見つけた。
「当時、身長が175cmぐらいあったので自分より大きい同級生に会ったことはなかった。『平尾よりもでかいやつおるで』と言われて驚きました」
小6で180cm。しかも、自分と同じキャプテン・4番・ピッチャー。意識しないはずがなかった。
藤浪は大阪泉北ボーイズへ、平尾は地元の中学野球部へ進んだ。再会は岸和田市にあるスポーツジム。偶然にもそのジムの上にあった同じスポーツ外科に通っていた。そこで高校のチームメイトになることを知る。
「ルームランナーに乗りながら、『久しぶりやな』と会話しました。向こうも最後の大会で戦ったので覚えていたみたいです。藤浪は後々、試合のビデオを見直したらしく、『小6であのデカさは反則やな』って。いや、お前のほうがデカいやん(笑)と」
一緒に甲子園に行こう――。
中学の3年間一度も会うことはなかったが、言葉にせずとも思いは同じだった。