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平成日本サッカーの夜明け(3)
1995年のワールドユースが変えた物。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byAFLO
posted2019/04/29 10:30
1995年ワールドユース、ブラジル戦の安永聡太郎。日本はベスト8進出を果たし、安永はアトランタ五輪最終予選メンバーにも名を連ねた。
アジアを勝ち抜くことが現実的な目標に。
シリアとの決勝は1-2で競り負けたものの、2点のビハインドを背負ったあとの反撃はチームのコンセプトが発揮されたものだった。国際的にも高いと位置づけられる技術を生かすために、判断のスピードを速くするサッカーである。
世界大会で何を強みにしていくのかが議論され、日本サッカーとして進むべき道が少しずつ定まっていくのは、アジアを勝ち抜くことが現実的な目標となり、その先に世界を見据えることができるようになったからだった。
チームの中心はJリーグのクラブに所属する選手たちだが、前年のU-17世界選手権に出場した松田直樹と中田英寿が高校生でレギュラーに食い込んでいる。最終予選ではバックアップメンバーだった楢崎正剛、森岡隆三、西澤明訓ら、のちに日本代表としてワールドカップに出場する選手も含まれていた。
アジア最終予選から本大会までの準備は、実はそれほど充実したものではなかった。Jリーグ、高校選手権予選と本大会、天皇杯などのスケジュールとの兼ね合いで、選手を招集する調整がつかなかったのである。「活動ができない時期はそれぞれの選手が所属するチームでトレーニングを積んで、レベルアップしてもらうしかない」と田中は話した。
世界大会は選手を劇的に進化させる。
ところが、チームに停滞感はないのである。
最終予選にエントリーされた選手だけでなく、出場資格を満たすすべての選手たちが、「ワールドユースのピッチに立つ」という明確な目標を持つことができていた。主力としてみなされる選手に油断はなく、メンバー入りの当落線上にある選手たちは危機感を抱く。
合宿を開くことができなくても、それぞれが切磋琢磨する時間を過ごしていたのだ。「予選から世界大会までの時間で、選手たちはさらに一歩、二歩と成長していく。それこそが、世界大会に出場する大きなメリットです」と、山本は語った。
ワールドユース本大会には、守備の中心だった田中誠がケガで出場できなかった。それでも、最終予選に招集されなかった秋葉忠宏、鈴木和裕、萩村滋則を加えることで、ディフェンス力は担保されていた。