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平成日本サッカーの夜明け(3)
1995年のワールドユースが変えた物。 

text by

戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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posted2019/04/29 10:30

平成日本サッカーの夜明け(3)1995年のワールドユースが変えた物。<Number Web> photograph by AFLO

1995年ワールドユース、ブラジル戦の安永聡太郎。日本はベスト8進出を果たし、安永はアトランタ五輪最終予選メンバーにも名を連ねた。

そして黄金世代へバトンは渡っていく。

 田中のチームがワールドユース出場を決めてから約1カ月後の'94年10月、今度はU-16日本代表が'95年のU-17世界選手権出場を果たしていた。しかも、アジアチャンピオンとして世界へ挑むことになったのだ。

 松田保監督が率いたチームには、中学生だった曽ヶ端準、稲本潤一、酒井友之、小野伸二、高原直泰が名を連ねている。U-17世界選手権はグループリーグ敗退に終わるものの、カテゴリーをひとつあげた'99年のワールドユースで、彼らの世代は準優勝という快挙を成し遂げることになる。

 50年後、100年後に平成の日本サッカー界が振り返られたとき、おそらくは「世界へ羽ばたいた時代」と位置付けられることになるだろう。そのきっかけとなったのが、Jリーグ開幕とそれに伴う日本代表の競技力アップにあるのは間違いない。

 同時に、'92年から'95年までの世代別代表の強化にも、目を向けられていい。その国のサッカーの絶え間ない発展は、フル代表の強化よりもっと前に始まっているからだ。
(文中敬称略)

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