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選手の息づかいを時代の空気と共に。
「平成野球 30年の30人」に込めたもの。 

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posted2019/04/23 11:00

選手の息づかいを時代の空気と共に。「平成野球 30年の30人」に込めたもの。<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

本書は創刊39年となる「Number」で幾多の野球記事を手がけてきた石田氏の、野球ライターとしての集大成といっていいだろう。

ヒーローへの傾倒が加速した30年。

 誰もが認める平成の大スターの名前が並ぶが、一方で本書の前半では、前出の野中投手の記事や、右肩故障からの復活途上にある伊藤智仁(平成8年)の記事など、挫折や怪我で苦しんでいた人の声を丹念に拾った記事が目に入ってくる。

 「なんとなくの印象だけど、20世紀が終わるあたりまでは、そういった、挫折した選手、うまくいかない選手の声を届ける場が、今よりも多くあったように思います。それが21世紀に入るあたりから、そういったサイドストーリーよりも、主人公となるべき選手を描いて欲しい、というニーズが、スポーツメディア側の方でより高まってきた。そんな時代の要請も関係しているのではないか、と思っています」

 10年ひと昔、とよく言うのだから、30年ともなると、さまざまなものが変わってくるのも当たり前だろう。たとえば平成7年の記事には、ヤクルトの野村克也監督(当時)が、アソボウズのデータ解析技術をフル活用して日本シリーズで対戦するイチローを研究・攻略したその詳細が描かれているが、いまやデータ分析は当たり前のこととなっている。

「取材する側の環境も、昔と今とでは、ずいぶん変わりました。僕は学生のときに手に入れた文豪mini7という、今考えるとちっともミニじゃない箱型のワープロを使っていたんですが、さすがに重たくて海外出張には持っていけない。そこで、フロリダでキャンプ中の伊藤智仁さんを取材し、現地で記事を書くために原稿用紙を持っていったんです。ところが、いざ取材が終わって書き始めたら、まったくといっていいほど筆が進まない。結局、TBSで一緒に仕事をしていて、当時ドジャースの野茂英雄さんを取材していた笹田幸嗣さんがワープロとプリンターを貸してくれるというので、夜中フォートマイヤーズからベロビーチまで、カーナビも何もない中で300キロ近くドライブして、怖い思いをしながらガス欠ギリギリでたどり着いたのを覚えています」

山際淳司に憧れてアメリカへ。

 アメリカ、ということでいえば、野茂がドジャースに移籍したのが1995年。その後もイチロー、松井秀喜、松坂大輔、ダルビッシュ有、田中将大、そして大谷翔平があとに続いた。平成という時代は、日本のトップ選手がどんどんとメジャーリーグに移籍していく時代でもあった。

「日本で取材していた選手が次から次へとアメリカに行ってしまったので、結果的にアメリカに頻繁に行くことになりましたね。

 実は、初めてアメリカに行ったのは大学を卒業する直前だったのですが、その目的はメジャーの野球博物館と野球殿堂のあるクーパーズタウンに行くことでした。山際淳司さんがメジャーリーグを特集した雑誌に『衣笠祥雄さんと一緒にクーパーズタウンに行った』という話をエッセイで書いていて、どうしても行きたくなったんです。まだ治安の悪かったニューヨークから、早朝の長距離バスで6時間ほど揺られて着いたクーパーズタウンは、まさに野球の町。見るもの触るもの全てに感動したことを強烈に覚えていたので、こうやってメジャーリーグも取材するようになったのは、本当に嬉しいことでした」

【次ページ】 第1回WBCの直後のイチロー。

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