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選手の息づかいを時代の空気と共に。
「平成野球 30年の30人」に込めたもの。

posted2019/04/23 11:00

 
選手の息づかいを時代の空気と共に。「平成野球 30年の30人」に込めたもの。<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

本書は創刊39年となる「Number」で幾多の野球記事を手がけてきた石田氏の、野球ライターとしての集大成といっていいだろう。

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 平成31年3月21日、イチロー、現役引退。

 ベースボールの歴史に大きな足跡を残した選手が一線を退くタイミングが、平成というひとつの時代の終わりと重なったことに、偶然とは思えない、天の配剤のようなものを感じてしまう方もいるのではないだろうか。

 そんなタイミングで、イチローをはじめとして、松坂大輔、清原和博、桑田真澄、松井秀喜、大谷翔平ら幾多のプレイヤーが躍動し、長嶋茂雄、王貞治、野村克也、星野仙一ら昭和の大選手たちが監督として名采配を振るった「平成の野球」を振り返る一冊、「平成野球 30年の30人」が刊行された。

 著者の石田雄太さんは、東京五輪の年である1964(昭和39)年生まれの54歳。初めてプロ野球を生で見たのは、1974(昭和49)年、静岡の草薙球場で行われた大洋×中日のオープン戦だった。

「子供の頃からずっと野球が好きで、ずっとスポーツ新聞の記者になりたかったんです。就活の結果、大学卒業後はNHKに入ることになり、昭和63年からスポーツ番組のディレクターとして働きはじめました。NHKには3年ほどお世話になってからフリーになり、そのあとは、TBSでテレビの構成・演出に関わりながら、『Sports Graphic Number』を中心にベースボールライターとして活動を続けています。

 つまり、自分は『昭和の野球』が大好きで、『昭和の野球』を描きたい、いつか書いてみたい、と思いながら野球取材を始めたのですが、実際に今日まで取材者として向き合ってきたのは、『平成の野球』だった。まさに自分の31年に及ぶキャリアがスッポリ『平成』という時代だったんだ、と最近気づいたんです」

雑誌の記事は残らないものだけど。

 自分は平成元年に何をやっていたのだろう──そう思い返して、週刊ベースボールの連載コラム「閃球眼」で当時の回想を書いた。巨人の絶好調男、中畑清が引退を決めた年、シーズン終盤から日本シリーズ、最後の打席でホームランを打ち、胴上げ、ビールかけを経て自宅に帰るまでの彼を密着取材していた、若き日の自分のことを。

「そのコラムをこの本の編集者が読んでくれて、メッセージをくれたんです。そこからインスパイアされて、本の企画へと発展しました。雑誌の記事というものはどうしてもその時その時で消費されて残っていかないものだけど、僕にとって大切な場所である『Sports Graphic Number』に書いた記事を中心に、30年間を一冊の本にまとめることができたら、と思って」

 かくして書籍の刊行が決定した。ところが、ひとつ問題があった。NHK、TBSで働いていたときは、まだスポーツライターと呼べるような仕事をしていなかったのだ。「Sports Graphic Number」に石田さんが初めて記事を書いたのは平成4年。では、それ以前の記事はどうすればいいのか──。

【次ページ】 1年に1人、複数回登場は原則なし。

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