マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
オープナーは球数制限に有効では?
大学野球の成功例から思いついた。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKyodo News
posted2019/04/16 08:00
2003年、大学日本一に輝いた日本文理大。その投手起用法はまさに「オープナー」的発想だった。
オープナーでの全国制覇に批判が。
1イニングでの交代もあったと書いて、そんな「昭和」までさかのぼらなくても、もっと最近にも「オープナー」があったな……と思い出したのが、16年前の大学野球での出来事だった。
九州のリーグを勝ち抜いて全国大会にやって来た大学チームが、2回の攻撃の始まりでピッチャーを代えた。先発投手を1イニングだけ放らせて、リリーフを送ったのである。
呆気にとられる相手チームと観客の前で、3回の攻撃が始まるタイミングで、再びベンチから監督が現れて、またもピッチャーを代える。結局、その試合では5人の投手を小刻みに継投。相手打線を翻弄して勝ちをおさめた。その後の試合もずっとその調子で快進撃を続けると、あれよあれよの全国制覇。
2003年、全国大会に2度目の出場で優勝に輝いた日本文理大学の姿であった。
奇策、目くらまし、行き当たりばったり、邪道……まんまと足元をすくわれた苛立ちもあったのだろう、手厳しい批判の嵐が指揮官に集中した。
中村監督が明かした当時の考え。
「まあ学生野球ですけど、もう20年近く前に、オープナーをやってたチームがあったっていうことですよね」
今も日本文理大野球部を率いる中村壽博監督は、感慨深げに当時を振り返る。
「甲子園でエースとして投げていたようなピッチャーなら、大学でも5、6イニング、すぐ投げられるんですよ。でも、なんの実績もない九州の大学に、そんなピッチャー来てくれないじゃないですか」
訴えるような熱っぽい語りは、その当時も今も、何も変わっていない。
早稲田大学で現役生活を終えてから助監督をつとめ、請われて日本文理大の監督になったのが25歳の時、平成11年(1999年)だった。
「野球部はあっても名ばかりのもので、もちろん全国にも出ていないし、知名度もない。ですからウチに来てくれるピッチャーなんて、高校3年間で“夏0勝”みたいなピッチャーばっかりなんですよ」