オリンピックPRESSBACK NUMBER
男子エペ団体がW杯初優勝の快挙。
日本フェンシングが躍進する理由。
posted2019/04/01 10:00
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Kyodo News
金メダルを胸にかけ、多くのテレビカメラや居合わせた観光客が集う成田空港の出口を、フェンシング男子エペ団体日本代表の選手たちが、まるでランウェイのように歩く。行きかう人に「何の競技なの?」と時折聞かれながらも、笑顔で「フェンシングです」と答え、「おめでとう」の言葉にまた笑顔で返す。
約2週間前、ブダペストでのグランプリ大会個人でエペの日本勢として初優勝を遂げたばかりの見延和靖は胸を張った。
「夢なんじゃないか、と思っていたので、勝った瞬間よりも今の方が喜びを実感しています。(サイズは)ちっちゃいですけど、本当に金メダルを獲ったんだな、と嬉しかったです」
世界ではエペがフェンシングの花形。
エペは世界では最も競技人口が多く、フェンシングの花形なのだが、2008年北京五輪で太田雄貴が、2012年ロンドン五輪では男子団体チームが銀メダルを獲得したこともあり、日本におけるフェンシングの花形はフルーレだ。
同時に突けば両者に得点が加わるエペに対し、フルーレには有効面や攻撃権がある。力対力、というぶつかり合いだけでなく、スピードや技の比重が高まり、日本人が世界で勝負するならばエペよりもフルーレのほうが有利に働く。
実際に北京五輪に向けフェンシング界にとって悲願でもあったメダルを獲るために、最も可能性が高いとされる男子フルーレを強化の中心に据え、さらにそのど真ん中でメダルの期待を一身に背負って戦ったのが太田だった。
エペ日本代表として北京五輪に出場し、現在は男子エペのコーチを務める西田祥吾は言う。
「僕らの頃はナショナルチームと言っても遠征も自腹でしたし、エペは2、3人しかいなかった。その少ない人数で練習しているだけだから、うまくなるはずがないし、勝てるはずがない。今とは明らかに環境も練習内容も違います」