One story of the fieldBACK NUMBER
殿堂入りした名伯楽・権藤博が説く、
「プロ野球は中4日で20勝」理論。
posted2019/03/28 17:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Takuya Sugiyama
現代では考えられない登板数によって一瞬の輝きを残して現役を去った後、指導者としてはそれを“反面教師”にしたかのような投手分業制の採用で、横浜を優勝に導き、日本代表の投手コーチまでも務めた。リリーフ投手の地位が高まり「分業制」から「球数制限」と、まさに投手新時代を迎える野球のシーズン開幕を前に、氏が思うこととは――。
球音が近づく早春、権藤は殿堂入りの実感に浴していた。
「選ばれる前は、俺はいいよ、なんて思っていたこともあったけど、選ばれて、入ってみたらやっぱりすごいところ。ものすごい人たちばかりの中に自分がいる。身にあまる光栄ですよ」
この名誉をきっかけに、自他ともにあらためて「権藤博」の野球人生を振り返る機会が訪れた。いざ、そうしてみると時代とともに野球が、投手がいかに変化してきたかがわかる。
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「権藤、権藤、雨、権藤……」
チーム試合数の半分以上となる試合に登板し、30勝以上するという時代は遥か遠く、今やすべてを託す大エースなんて、ほぼ絶滅種だ。
昨年のソフトバンクホークス対広島カープの日本シリーズではともに2試合ずつ先発した両エース、千賀滉大と大瀬良大地が投げたのは最長で5イニングだった。まさにリリーフの時代である。
最近では「オープナー」という言葉が、日本の球界でも耳慣れてきた。昨年、米大リーグのタンパベイ・レイズがクローザーを、失点率の高いとされる初回のマウンドに送って3者三振に抑えると、2回から4投手の継投で5-3で勝利した。ここから他球団にもこの戦術を採用するチームが現れて、ついには日本球界でもこの戦術の採用をにおわせる監督が出てきた(実際には用いた人はいないが)。
リリーフ野球の極致ともいうべき戦術であり、イメージとしては権藤が日本で最初に採用してもおかしくなかったとも思える。だが、当人は意外にも、この過度なリリーフ偏重の流れに異を唱えた。