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殿堂入りした名伯楽・権藤博が説く、
「プロ野球は中4日で20勝」理論。 

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2019/03/28 17:00

殿堂入りした名伯楽・権藤博が説く、「プロ野球は中4日で20勝」理論。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

指揮官としては「選手の自主性を重んじる放任主義」だった権藤博氏。ただし、その指導法の裏には綿密な野球理論があった。

「先発投手が20勝できるようなシステムを」

権藤「『オープナー』ねえ。でも、佐々木(主浩)を1回に投げさせるわけにはいかんでしょう。『この紋所が……』というのは、やっぱり最後にとっておかないと。だったら中継ぎをいかせるのか……。まあ、私が監督していた頃のベイスターズで言えば、阿波野(秀幸)だろうけど、でも、それは違うと思う。

 私だったら、先発投手に『短いイニングで』と事前に言っておいて、投げさせるだろうね。短いイニングの適性とか言うけど、キャンプの練習を見たら先発も、中継ぎも同じような球数を投げて、同じような練習をしているわけだから」

 権藤が訴えたのは、リリーフの台頭によって、かつてよりも威容を失いつつあるエースと、先発投手たちを取り巻く環境についてだった。

権藤「それよりも、先発投手が20勝できるようなシステムをつくるべきだと思う。最近、20勝投手なんて出ましたか? 田中(将大)の後、出ていないんじゃないのかな」

 指摘の通り、球界において大エースの証であった「20勝投手」は2013年、24勝0敗を記録した楽天・田中将大(現ヤンキース)以来、現れていない。

 大エースの時代は終わったのか。

「俺以外に誰が投げるんだと」

 権藤は1961年、中日ドラゴンズに入団したプロ1年目に69試合、429イニング3分の1を投げて35勝(19敗)を挙げた。

 現代では先発投手は年間およそ27、28試合の登板、200イニングを目標としているのだから、1960年代の権藤の起用が「酷使」という表現になったのも頷ける。

 ただあの当時、連日マウンドに上がっていた当人にとっては「権藤以外に投手はおらんのか」と思われることが、これ以上ない誉れだったのだという。

権藤「他の投手はどう思っていたんだろうね。面白くないでしょう。でも、あいつには勝てんなあと思っていたんじゃないかな(笑)。こっちも誰かにマウンドを譲りたいとか、俺はもう限界だから誰か投げてくれないかな、なんて思ったことはないよ。俺以外に誰が投げるんだと、そういう思いしかなかった」

【次ページ】 憧れていたのは大エース・稲尾和久。

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