“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
鳥栖・原輝綺は右SBでこそ生きる?
同じ境遇の友、杉岡大暉からの助言。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2019/03/21 17:00
原輝綺は鳥栖の地で右サイドバックとして新境地を開拓しつつある。五輪世代でもその経験値を生かしたいところ。
ピンチの芽を摘み、攻撃参加。
個人として見ても、磐田戦の原はボールへの寄せ、ポジショニング、守備から攻撃への切り替えのスピードなどが素晴らしかった。
たとえば43分のこと。磐田がカウンターを仕掛けた場面だ、アダイウトンと大久保嘉人の両者を見ていた原は、巧みなポジショニングから鋭く反転。ボールを受けようとした松本昌也にスライディングを仕掛け、ピンチの芽を摘んだ。
後半開始直後の対応もそうだ。「大久保選手と川又(堅碁)選手の2人が並んで、うちのCB2枚のところに動いたんです。それを見て中に絞ったら、大久保選手が潰れたところのこぼれ球に川又選手が反応してきた。いち早く自分がアタックに行けてクリアできた」と、鮮やかなカバーリングを見せた。
そして極めつけはクエンカの決勝ゴールである。原川力の左からのクロスが供給される際、クエンカの奥にはFW豊田陽平が、そのさらに奥には原が走り込んでいた。
「アディショナルタイムだったし、あのカウンターが勝負を分けると思ったので、ゴール前まで全力疾走しました。流れてきたら決めようと思っていた。その前にクエンカが決めてくれたので、めちゃくちゃ嬉しかった」
U-23選手権でも力を見せたい。
鳥栖サポーターの前で両手を広げたクエンカに真っ先に飛びついたのは原だった。最終ラインの選手がファーサイドに走り込み、かつゴールを決めた選手に抱きつく。しかも後半アディショナルタイムである。
スプリントと攻守の切り替えの速さ、心肺機能の高さ、何より勝負所を見逃さない感覚は、右サイドバック・原輝綺が実力者であることを証明した。
「新天地での勝負、東京五輪に向けて……今年は僕にとって重要な1年になる。高校から僕を獲ってくれた新潟への感謝もあります。左右のサイドバックも経験させてくれたし、昨年の終盤戦は負傷離脱して、練習すら参加できないまま、鳥栖に移籍した。この状況で欲しいと言ってくれた鳥栖もそうだし、送り出してくれた新潟にも成長した姿を見せたい」
友人である杉岡の目は的確だった。新たな“天職”を見出した原は今、ミャンマーの地にいる。U-22日本代表としてAFC U-23選手権予選を戦うためにだ。
雑念を捨て、右サイドバックに希望を見出した、どのようなプレーを見せてくれるのだろうか。より進化した姿を見せつけるべく、原輝綺はミャンマーの地での躍動を誓う。