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鳥栖・原輝綺は右SBでこそ生きる?
同じ境遇の友、杉岡大暉からの助言。
posted2019/03/21 17:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
守備的なポジションならどこでもこなせる。守備のエキスパートと言うべきか、“黒子”と言うべきか。
サガン鳥栖の原輝綺は、対人プレーの強さと危機察知力、アジリティーとスプリント力を兼備したタイプで、ボランチやCBを主戦場としてきた。
だが、アルビレックス新潟から鳥栖に完全移籍した今季、彼は新たなポジションを託された。
4-4-2の右サイドバック。
すでに新潟時代に左右両サイドバックは経験済み。それもあってか、カレーラス監督はこのポジションが彼の適性だと判断したのだ。
「新潟から移籍するときに“ボランチとサイドバックで考えている”と言われていたんです」
原がこう語ったように、鳥栖にとってサイドバックは最大の補強ポイントだった。オフに吉田豊が名古屋グランパスに完全移籍。左は三丸拡、右は小林祐三と藤田優人、両サイドバックができる安在和樹と人材はそろっているが、吉田に匹敵するポテンシャルを持った選手が必要だった。
そこで守備のユーティリティーである原に白羽の矢が立った。東京五輪世代で、現時点でU-22日本代表の不動のメンバー。若さと実力も兼ね揃え、鳥栖としては喉から手が出るほど欲しい存在だった。
サイドバックとしての可能性。
また原にとっても、このオファーは大きな可能性を見出せるものだった。それは“サイドバック”という起用に理由がある。
「新潟でサイドバックでの起用が増えて、いろんな経験を積むことができた。正直に言うと、心のどこかで“ボランチがやりたい”という思いが残っていたんです。ただ(U-22代表の)森保監督の下でプレーしたこともあり、徐々に考えが変わったんです」
3-4-2-1を採用する森保監督の下で、原は3バックの右を任されている。右ウイングバックと連係してサイドのスペースをカバーし、時にはボランチを追い越して攻撃参加する。
このタスクを繰り返したことで、心境に変化が生まれた。