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視覚に頼らず壁を登るクライマー。
49歳の日本王者が越えた2つの挫折。 

text by

森山憲一

森山憲一Kenichi Moriyama

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photograph byKenichi Moriyama

posted2019/03/21 11:00

視覚に頼らず壁を登るクライマー。49歳の日本王者が越えた2つの挫折。<Number Web> photograph by Kenichi Moriyama

パラクライマーの蓑和田一洋、49歳。日本選手権では3度優勝している。

20歳ではじめ、2年で国内王者に。

 蓑和田のパラクライミング歴は6年。以前は、「パラ」がつかないクライミングの世界で、将来を嘱望された選手だった。

 1969年生まれの蓑和田がクライミングを始めたのは20歳のとき。小学生でクライミングを始める人も珍しくない現在では遅いスタートに感じるが、当時はそれが普通だった。

「やってみて、あ、これは自分に向いているとすぐ感じました」

 その言葉どおり、実力は急成長。クライミングを始めてわずか2年で、ジャパンカップという国内王者を決める大会で優勝を果たす。先日の3月2~3日に行われた第32回リードジャパンカップで優勝したのは、東京オリンピックを目指している藤井快。蓑和田はその歴史ある大会の第6回大会優勝者なのである。

 翌1993年のジャパンカップでも2位。ちなみにこのときの1位は、すでにワールドカップでの優勝経験を持っていた平山ユージ。蓑和田はクライミングを始めて3年で、その平山のすぐ背後にまで駆け上がってきた。

 華々しい結果に自信を得た蓑和田は、大学を卒業しても就職せず、アルバイトをしながらクライミングに打ち込む人生を選択する。当時、国内にできたばかりのクライミングジムの近くに引っ越し、年に数カ月は海外の岩場を登り歩いた。

 同い年でありながら実績で先行している平山ユージを超えることができれば、それはイコール世界のトップに立つということ。それを目標に、ひたすら登り続けた。大会に出るだけでなく、世界中のクライマーがその名を知るような有名な岩場の難ルートを何本も手中に収めた。

「社会からドロップアウト同然の雰囲気」

 そんな生活を6年間続けた末に、蓑和田はひとつの結論を出す。

「当時、プロクライマーという生き方はまったく一般的ではありませんでした。クライミングに打ち込んだ人生というのは、社会からドロップアウトしたも同然という雰囲気。そういう人生を貫けるかどうか、30歳を前にして僕は自信がもてなくなってしまったんです」

 29歳の蓑和田は、そうしてクライミングの一線から退いた。

【次ページ】 第2の人生、そして目に異常が……。

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