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磐田黄金期の礎を築いたドゥンガ。
怒れる男の愛に溢れたメッセージ。 

text by

沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

PROFILE

photograph bySachiyuki Nishiyama

posted2019/03/02 11:30

磐田黄金期の礎を築いたドゥンガ。怒れる男の愛に溢れたメッセージ。<Number Web> photograph by Sachiyuki Nishiyama

雰囲気は少しだけまるくなったが、ドゥンガの威厳は変わらない。闘将は健在だ。

ペレ以上に勝利に貢献した男?

 セレソンで彼が出場した試合、出場しなかった試合の平均勝ち点を算出したことがある。結果は、2.34と2.02。ドゥンガがいたときのセレソンは、いなかったときより約16%も勝ち点を多く手にしていた。

 同様にペレがいたとき、いないときを調べたら、2.30と2.03。驚いたことに、セレソンはドゥンガがいたときの方がペレがいたときよりも“強かった”。

 これまでセレソンでプレーしたすべての選手のデータを調べたわけではないが、セレソン史上、チームの勝利に最も貢献したのはあなただったかもしれない――。

 ブラジルでは、これ以上ない笑顔を浮かべることを「耳から耳まで(口角を上げて)笑う」という言い方をする。この私的な見解を伝えたときの闘将の顔は、まさにそれだった。

「それこそが、私が望んでいたことだ。私はペレのような天才ではもちろんない。ロマーリオやロナウドのように点を取りまくるわけではないし、ロナウジーニョのような人間離れしたテクニックもない。そんな私でも、心と身体と頭をフルに稼働してプレーすれば、『チームを勝たせる選手』になれる。

 試合の目的は、美しいゴールやプレーをすることではなく、勝つこと。勝利に、ゴールに『美しい』も『醜い』もない」

直談判してロマーリオと同室に。

 この言葉の裏側には、ブラジル国内の彼に対する手厳しい評価がある。ブラジル人の圧倒的多数は「フッチボール・アルチ」(芸術サッカー)を愛し、ドゥンガが志向するスタイルに対しては「結果のみを追求する醜いサッカー」という辛辣な見方をする人が少なくない。

 しかし、彼は単純な根性論の信奉者ではないし、個人能力が高い個性的な選手を過小評価するわけでもない。

 1994年W杯アメリカ大会でセレソンのカルロス・アルベルト・パレイラ監督が稀代の問題児ロマーリオを持て余し、南米予選でほとんど招集しなかったのをみて、「我々が世界一になるには彼の力が不可欠だ。私が宿舎で同室になり、チームのためにプレーすることの重要さを理解させるから」と直談判。

 ロマーリオをチームに加えさせ、結果的に彼の5得点の活躍で世界の頂点に立った。この“偉業”は、もっと高く評価されていいはずだ(ちなみに、このW杯以降、ロマーリオはドゥンガに心酔している)。

【次ページ】 彼の経験と知見をもっと活用したい。

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