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磐田黄金期の礎を築いたドゥンガ。
怒れる男の愛に溢れたメッセージ。
posted2019/03/02 11:30
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Sachiyuki Nishiyama
2月下旬のポルトアレグレ、闘将の邸宅で話を聞いた沢田啓明さんが見たドゥンガとは――。
闘将とのインタビューを終えてサンパウロの自宅に戻ってから、長時間、真摯に話をしてくれたことに対する感謝のメッセージを送った。折り返し、「日本のメディアと話すのは、私にとっても大きな喜び」、「日本では、私と私の家族がとても温かく迎えてもらった。日本で過ごした数年間は、自分の人生にとって極めて貴重な時間だった」というコメントが返ってきた。
ドゥンガは、ブラジル、イタリア、ドイツという世界に冠たるサッカー王国でキャリアを積み重ね、しかも1994年W杯アメリカ大会でセレソン(ブラジル代表)のキャプテンとして優勝カップを掲げてから数カ月後、ジュビロ磐田からオファーを受けた(考えてみれば、ジュビロもこれほどの大物によくアプローチしたものだ)。
翌年、創設3シーズン目のJリーグに参戦。初めて接した日本のプロリーグについて、「リーグの運営が円滑で、クラブがサッカーを愛する人々によって真摯に運営されており、クラブのスタッフ、選手らが我々のような外国人から謙虚に学ぼうとする姿勢に感銘を受けた」という。
磐田に住んでいた当時のドゥンガは、「世界中どこに住んでも、その国の人になったつもりで行動する」という信念に基づき、近隣で開催される各種イベントや伝統行事に家族ともども積極的に参加。地元の人々と親密に交流したという。
ジュビロでプレーしたのは約3年半で、その後、約5年間クラブのテクニカル・アドバイザーを務めた。日本と直接の縁が切れても、常に日本サッカーの動向を気にかける。
甘さとは対極にいる男、ドゥンガ。
これほどの愛情と日本文化への深い理解があるからこそ、少々耳が痛い提言もしてくれた。
「日本人選手は、集中力が続かない。主審が試合終了の笛を吹くまでは決して気を抜いてはいけないのに、『もう大丈夫』と思って気を緩める。簡単なプレーを失敗し、掌中にしていた勝利を取り逃す。
これらの欠点はかなり改善されてきているが、まだ甘いところがある」
このような苦言を聞いて、そんな甘さとは対極に位置する男のことを思い浮かべた。他ならぬドゥンガだ。