松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
パラ・パワーリフター大堂秀樹。
「コーラと赤いきつね」の謎とは?
posted2019/02/26 07:00
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Yuki Suenaga
この日、松岡修造さんが訪れたのは、パラスポーツ専用の体育館である「日本財団パラアリーナ」だった。
昨年6月、東京お台場の船の科学館の敷地内にオープンして以来、パラアスリートたちの東京の練習拠点の1つになっている。その一角にあるトレーニングルームでは、対談相手の大堂秀樹選手が真剣な表情でバーベルと向き合っていた。
誰も、話そうとしない。
張り詰めた空気を切り裂くように、一定の間隔でスマホのアラームが鳴らされる。それを合図に、大堂さんの中でスイッチが入るようだ。リストラップをまき直し、「フッ、フッ、フーッ」と独自の呼吸法で集中力を高めると、120kgの重さのバーベルを一気に5回連続で持ち上げた。今は大きな大会を数カ月後に控えて練習の負荷を下げている段階。ウォーミングアップ程度の重さなのだそうだ。
大堂さんはパラ・パワーリフティングの日本代表候補選手である。体重別の10階級で、上から4番目の男子88kg級。パラリンピックには2008年北京(8位)、ロンドン(6位)と前回のリオ(8位)の3大会に出場し、いずれも入賞を果たした。
何度も繰り返し、バーベルを上げること40分余り。その練習を遠巻きに見守るのは、日本パラ・パワーリフティング連盟事務局長の吉田寿子さん。一段落してのち、手早く着替えをすませると、大堂さんが松岡さんに声をかけた。いよいよ対談のスタートだ。
「白魚のような手です」
松岡「隣に座っても良いですか」
大堂「もちろん。でも新幹線の自由席だと一緒に並びたくない感じでしょ。横幅が大きくて」
松岡「腕が太いから、大堂さん、座席に収まらない感じがします。(握手をして)でも、手はすごく柔らかいですね」
大堂「白魚のような手です」
松岡「なぜ、白魚……」
大堂「(ニヤリ)」
松岡「白魚かどうかはわかりませんが、マメもできてません」
大堂「今はないですね。試合が近くなって、もっと練習ができてくると、てのひらにタコができます」
松岡「この靴は専用のものですか。あまり見たことがない」
大堂「いや、市販のものです。流行ってもいない在庫限りの靴を、Amazonで3000円くらいで買いました。僕は足の感覚がないですし、歩かないので、正直言うと靴は何でも良いんです」
大堂秀樹(おおどう・ひでき)
1974年10月17日愛知県名古屋市生まれ。18歳の時にバイク事故で脊髄を損傷し、車椅子生活に。3年後にパワーリフティングを競技としてはじめ、2008年北京(75kg級8位)、2012年ロンドン(82.5kg級6位)、2016年リオ(88kg級8位)と3大会連続でパラリンピックで入賞。2018年9月に北九州市で開催されたアジア・オセアニアオープン選手権(88kg級)で同大会日本人唯一の銅メダルを獲得。SMBC日興証券所属。