松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
パラ・パワーリフター大堂秀樹。
「コーラと赤いきつね」の謎とは?
text by

松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2019/02/26 07:00

パラ・パワーリフティングの日本代表選手・大堂秀樹のトレーニングルームにて。
「それが最後に立った記憶です」
松岡「改めて伺いますけど、足は今動かせないんですか」
大堂「みぞおちから下はまったく。胸半分から下の感覚はないです」
松岡「腹筋は?」
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大堂「ぜんぜん。ゼロ。でも、さすがにいきなりドンと殴られたりしたら、『ウッ』とはなりますよ」
松岡「でも、バーベルを上げる前に必ずこう足に力が入って、動かしているじゃないですか。あれは……」
大堂「あれは痙性といって、いわば反射運動のようなもの。脳で意識しているわけではありません。勝手に動く」
松岡「失礼ですけど、それができるのであれば動かせるって思いませんか」
大堂「うーん……動かせなかったですね。リハビリのときに平行棒に掴まるじゃないですか。あそこで痙性になったとき、足がビンと張って、1秒くらい立ちました。それが最後に立った記憶です」
松岡「何歳の頃ですか」
大堂「二十歳くらいかな」
ジャッキー・チェンに憧れた少年時代。
松岡「怪我をする前は、どんな少年でしたか。運動とかはしていましたか?」
大堂「運動は中学2年生までで、日本拳法をやってました。最後の方はなあなあで終わって。高校はバイト三昧で……」
松岡「スポーツでオリンピックを目指そうとかいうのはなかったんですね」
大堂「なかったですね。筋トレをするのは好きでしたけど。腕立て伏せをひたすらやったりしてました」
松岡「それは何のために?」
大堂「単純に鍛えた肉体って格好良いじゃないですか。だから腹筋も鍛えてました。テレビを見ている間は座りながら、両足を前に揃えて浮かせて、コマーシャルになると降ろす。その間、腹筋をプルプルいわせて(笑)」
松岡「誰か憧れのひとがいたとか」
大堂「ちょうどジャッキー・チェンをテレビで見かけるようになって、『少林寺木人拳』とか『酔拳』とかの映画も好きでした。日本拳法をやったのも、ジャッキーの影響。新聞に日本拳法の教室のチラシが挟まれていたのを目にして、『これやりたい』って。初めて親に習い事をねだったんです」
松岡「バイク事故に遭ったのは……18歳の時」
大堂「そうですね。もう25年が経ちました」
会話の中に真顔でいろいろな冗談を挟んでくる、ユーモアに溢れた大堂さん。そのクセ球ぶりに修造さんも最初は少し戸惑っていたように見えたが、すぐにペースを掴みはじめた。「何でも聞いて下さい!」と大きな構えの大堂さんに、修造さんの質問のペースも上がっていく……。
(第2回に続く……/構成・小堀隆司)
