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夫がスイスで遭難、4年後に遺体発見。
残された妻が語る「待つ」ことの意味。
 

text by

千葉弓子

千葉弓子Yumiko Chiba

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photograph byMayumi Soma/Sho Fujimaki

posted2019/02/16 08:00

夫がスイスで遭難、4年後に遺体発見。残された妻が語る「待つ」ことの意味。<Number Web> photograph by Mayumi Soma/Sho Fujimaki

事故直前のレース中、笑顔をみせるプロトレイルランナー相馬剛。現在、この写真は遺影として自宅に飾られている。

支援に立ち上がったトレイルの仲間たち。

 真由美さんたちが幸運だったのは、トレイルランニングの仲間たちが支援に立ち上がったことだ。一見、人を寄せ付けないオーラを放っていたものの、ストイックに競技に打ち込み、粘り強い精神力を持つ相馬さんを慕っていた人が多くいたのだ。

「友人や知人、トレイルランナーの皆さんが募金を呼びかけたり、写真集をつくって収益を寄付してくださったり。チャリティレースを企画してくれた方もいました。そうしてたくさんの人が私たちのことを気にかけてくれたからこそ、夫の死=不幸じゃなかった。人の優しさをこれほど感じたことはなかったと思います。

 とくにアイガーで一緒だった奥宮さんは後援会の代表として、ずっと募金活動を続けてくださった。自分が逆の立場だったら、そこまでできるかなって思うんです。その口座には、4年以上たった今でも寄付してくださる方がいるんですよ」

遺骨が見つかったあと、不安が膨れあがる。

 穏やかな日常が流れるなか、昨年10月2日の早朝、突然電話が鳴った。連絡はスイス領事館からで、マッターホルンで発見された遺体をDNA鑑定したところ、相馬さん本人であることが確認されたとのことだった。

「その日はちょうど子どもの運動会で、早起きしてお弁当をつくっているときでした。なんでこんな忙しいタイミングで見つかるんだろうっていうのが、最初の感想です(笑)」

 同じ頃、ネット上にも「マッターホルンで4年前に行方不明になった日本人登山者が発見された」というニュースが流れ、多くの友人・知人が「もしかしたら相馬さんでは?」と受け止めていた。ようやく相馬さんの遺体が帰ってくるという安堵に似た感情を抱いた人も少なくなかっただろう。

 だが、真由美さんの気持ちは違った。

「本当は一生見つからなくてもいいと思っていたんです。死が現実になってしまうから……」

 10月24日、2人のお子さんと相馬さんのお姉さんとともにスイスに向かった。領事館から電話をもらい現地へ向かうまで、真由美さんはとてつもない不安に襲われていたという。

「事故後の4年間よりも不安でした。領事館の車で空港から遺体との対面場所まで行ったのですが、対面したとき、やっぱり間違いないんだなって。発見されたのは、左脚の膝下と左肩から手にかけての一部です。左脚はとてもしっかりしていて、爪の形から相馬さんであることが一目で分かりました」

 その足は登山靴とアイゼンを装着した状態だった。近くではザックも見つかった。

 領事館の関係者によると、山の形状によって遭難者の遺体が集まりやすい場所があり、氷が溶けたのを見計らって一斉捜索を行ったところ、他の行方不明者とともに発見されたのだという。場合によっては事故から何十年も見つからないこともあるマッターホルンで、4年で見つかったことは奇跡ともいえる。

「着ていた衣服も伝えていたんです。OMMというブランドのウェアで、スイスでは見かけないからすぐにわかったということでした。現地では観光ヘリがよく飛んでいて、行方不明者の情報を把握して常に上空から手がかりを探してくれています。だから小さな遺品もよく発見されるそうです。実際、帰国する日にヘリから靴下も見つかりました」

 真由美さんは現地で火葬を行い、遺骨を受けとった後にツェルマットへ行き、捜索終了のための書類を提出した。

【次ページ】 発見されたことで、死が現実になる。

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