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夫がスイスで遭難、4年後に遺体発見。
残された妻が語る「待つ」ことの意味。
posted2019/02/16 08:00
text by
千葉弓子Yumiko Chiba
photograph by
Mayumi Soma/Sho Fujimaki
山という非日常空間で大切な存在を喪った人たちは、その「死」をどう受け止め、その後の日常を過ごしているのか。
スイスの山で夫を亡くした、ある妻の話に耳を傾けた。
2018年9月11日、雪解けが進んだマッターホルン東壁の麓で、地元の救助隊員によって遺体と登山道具が発見された。
DNA鑑定の結果、行方不明となっていたある日本人であることが判明する。
相馬剛、享年40。元海上保安庁の職員で、日本山岳耐久レース(通称ハセツネ)など数々の国内レースを制したプロトレイルランナー。2013年に海保を辞し、富士山周辺のアウトドアガイドサービスを行う『Fuji Trailhead』を立ち上げており、スイスでの事故はその矢先に起こっていた。
相馬が遭難したのは、2014年7月23日。スイスで開催された「アイガー・ウルトラ・トレイル」という101kmのレースを走り終え、現地に残って家族と旅を楽しんでいたときのことだ。
妻と10歳、8歳の2人の子どもを宿に残し、単独でマッターホルンに登る途中、稜線上から約800m滑落。ピッケルなど一部の装備品が見つかったが、相馬自身は行方不明のままだった。
遺体発見から1カ月経った昨年10月、遺骨が日本に帰ってきたが、事故から4年の月日が経っていた。これまでの歳月、家族はどのような想いで過ごしてきたのだろうか。妻・真由美さんを訪ねた。
つかの間の晴天、午後から降り始めた雨。
「(夫が)マッターホルン登頂を目指すのは、あれが2度目だったんです。だから、今回は山頂に立ちたいという気持ちもあったのかもしれませんね」(真由美さん)
前述のレース後、相馬さん一家はマッターホルンの麓の町ツェルマットへ移動していた。相馬さんが単独でマッターホルンを目指したのは、帰国予定の前日だった。
「滞在中ずっと天気が悪くて、ようやく明日晴れるからと登山の準備をしていました。朝、相馬さんはひとりで起きたのですが、天気をうかがっていたのか、眠かったのか、なかなか出発しなかった。私は相馬さんが出発する直前に起きました。
『どうするの?』と聞いたら、『いまから行ってくる』と。予定していた出発時間よりも、だいぶ遅れていました。駅まで送ろうとすると、2人の子どもがまだ寝ていたので『いいよ、起こさなくて。ひとりで行ってくる』って。そして出かけて行きました」