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夫がスイスで遭難、4年後に遺体発見。
残された妻が語る「待つ」ことの意味。
text by
千葉弓子Yumiko Chiba
photograph byMayumi Soma/Sho Fujimaki
posted2019/02/16 08:00
事故直前のレース中、笑顔をみせるプロトレイルランナー相馬剛。現在、この写真は遺影として自宅に飾られている。
登山中の夫に電話するのをためらった。
午前中は晴天だった。真由美さんと2人の子どもたちはマッターホルンがよく見える場所まで登山鉄道で上がり、ハイキングを楽しんで宿泊するコンドミニアムに戻ってきた。
「午後3時くらいだったかな。次第に天気が崩れて、雨が降り始めました。明るいうちに帰ってくると言っていたけど、現地は夜9時くらいまで明るいから帰りのタイミングがわからなくて。
晩ご飯は一緒に食べると言っていたので、5時頃になったとき、そろそろ夕食の準備をした方がいいかなと思いました。帰ってきてから用意するとせっかちな相馬さんを待たせてしまうし。連絡もないから迷っていたんです」
携帯で連絡することもできたが、登山中の夫に電話をすることをためらった。いよいよ夜になり、たまりかねて電話をしたところ繋がらない。真由美さんは不安になり、アイガーのレースに一緒に出場し、すでに帰国の途についていた奥宮俊祐さんに連絡をする。そこから先は奥宮さんや現地の日本人関係者が捜索の手配をしてくれた。
ここから「待つ」ための日々が始まる。真由美さんは半月以上、子どもたちとスイスに留まり、最初は夫からの連絡を、次第に「発見」の知らせを待つようになる。
「待っている間、いろんなことをネットで検索したんです。過去の山岳遭難についてや死後の世界は一体どうなっているんだろうか、なんてことまで」
なすすべもなく真由美さんたちは日本に帰国。その後も捜索は進展せず、時が過ぎていった。
「薄情だと思われるのかもしれませんが」
帰国後、これまでと同じように毎日を過ごした。真由美さんは一時期、相馬さんが家族のために建てた自宅の離れでカフェを営んでいたが、いまは朝霧高原エリアの牧場に勤務している。両親にそっくりな長女と長男は、ともに中学生になった。ときどき「父さん、こんなときはこうしていたよね」と家族で話すこともある。
「こんなことを言ったら薄情だと思われるのかもしれませんが、事故後も私たちは“普通に”暮らしてきました。最初は、自分がもっと落ち込むんじゃないか、鬱になるんじゃないかとさえ思っていたんですけど……。でも、結局、人はいつか死んでしまう。それなら悔いのないように生きるしかないと思うようになって」
そして「こんな考え方はよくないのかもしれないけれど」と前置きして、真由美さんは続けた。
「災害で家族を亡くされる人もいます。病気や怪我で辛い目に遭っている人だってたくさんいる。それに比べたら、好きなことをして行方不明になってしまった夫を待つ自分たちは、まだましなんだと考えて納得しようとしていました。いま思うと、ものの見方が曲がっていたんでしょうね。そう考えることで、なんとか乗り越えようとしていたのかもしれません」