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福永祐一が語った自らのダービー史。
積み重ねた挫折、父と周囲への感謝。
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph byTakuya Sugiyama
posted2019/02/09 08:00
ワグネリアンで念願のダービー制覇を果たした福永祐一。
真っ先に祝福してくれたのは……。
実は、ダービーを勝って検量室に入って、真っ先に祝福して迎えてくれたのが藤原さんでした。僕はまだ2着がエポカドーロだと知らなかったので、あとになって、あれはなかなかできないことだと。ダービーで2着の調教師と調教助手の荻野仁さんが、負かした僕を満面の笑みとハグで迎えてくれたんですよ。一番悔しい立場の人のはずなのに。そこに僕はすごく愛を感じました。
ダノンプレミアムに乗っていた(川田)将雅も、ゴールに入った後すぐに祝ってくれたんです。彼は1番人気で負けたわけですが、彼は彼でやりきったんでしょう。ベストを尽くした自負がなければ、他人を祝福する気持ちにはなれなかったと思うんです。
今までで一番楽しんで乗れた。
'99年桜花賞でGI初勝利を挙げ、'01年の香港マイルで海外GI初制覇。'05年にはアメリカンオークスで日本馬初のアメリカGI優勝を達成。昨年7月には武豊に次ぐ早さでJRA通算2000勝を記録した。すでに日本競馬界が誇る第一人者でありながら、ダービー勝利により、「これまで見たことのない境地に達した」という。
19回目の挑戦に、特別な感慨は持っていませんでした。回数をこなせば勝てるものではないことはわかっていましたから。
でも今年のダービーは、今までで一番楽しみながら乗りましたよ。何から何まで楽しまなきゃ損だなって臨んだ、初めてのダービーだったんです。
僕も41歳になりましたから、今後、そう何度もダービーに乗れるとは限らないことは、十分に自覚しています。勝つ、勝たないは別として、10万人を越えるお客さんの前で乗れる機会って、もう数えるほどしかないじゃないですか。騎手をやめた後、同じような緊張感、同じようなプレッシャーを感じる瞬間ってあるかなって考えたら、次に何を仕事にするかは自分でもわからないけど、このシチュエーションはそうそうないだろうと。
福永洋一の息子として生まれた縁で騎手になり、父親の縁でサポートしてくれる人がたくさんいて、一人前にしてくれて……。ダービーで勝てるチャンスのある馬との出会いに今年も恵まれたわけですよ。これで緊張して、上手く乗れなかったらどうしようとか、負けたらどうしようとか思いながら乗るのって、めちゃくちゃもったいないなって。
だからとことん、緊張感さえも楽しまないと損だと思ったわけです。そう思えたのも、ワグネリアンが5番人気ぐらいだったからかもしれません。胸のあたりに来るざわついた緊張感も、いつ来るかなって心待ちにしていたぐらいです。結局、最後まで来なかったんですけどね(笑)。