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福永祐一が語った自らのダービー史。
積み重ねた挫折、父と周囲への感謝。
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph byTakuya Sugiyama
posted2019/02/09 08:00
ワグネリアンで念願のダービー制覇を果たした福永祐一。
エピファネイア2着での失望。
これまでのダービー挑戦で経験した数々の挫折なくして、福永祐一はここまで大成しなかったかもしれない。自らのダービー史を語り出すと、もう止まらない。
エピファネイアに乗ったダービー('13年2着)……。最後にキズナに外から来られた時は、自分の不甲斐なさに相当落ち込みました。人生で一番の無力感を感じましたね。ゴール寸前まで勝ったと思っていましたから。
ただやっぱりそれも、自分の至らなさ。あのレースは自分のせいで落としたとはっきり言えるんです。だからこその無力感……。いや、無力感じゃないな。自分への失望ですね。
その落ち込みは今回の感動のように長く続きました。特にエピファネイアに関しては、秋に同じ過ちを繰り返すようなら、進退も考えなきゃいけないと思ってました。崖っぷちに立って、神戸新聞杯、菊花賞と勝てたので、僕の中でひとつ殻を破れたところはあったんですけど。
キングヘイロー、エイシンチャンプ。
騎手人生で一番大きな失敗をしたのもダービーでした。キングヘイロー('98年14着)に乗って、それまで味わったことのない緊張感に襲われて、それに飲まれてしまった。
'03年には選択を迫られました。ネオユニヴァースか、エイシンチャンプか。どちらも自分が乗っていて、瀬戸口(勉)厩舎の馬。先にGIを勝ったというのもあって、僕はエイシンチャンプを選び……。結果的にネオユニヴァースがダービー馬となった。
今ならネオユニヴァースを選択するか? それはわからないですね。でも、もし僕がエイシンチャンプに乗らないと決めていたなら、恩師の北橋(修二)先生と瀬戸口先生のお二方は、絶対に異を唱えたはずです。だから間違った選択ではなかったと、今でも思っています。
もちろん、どっちが勝つかということなら間違っていましたが、僕はエイシンチャンプで朝日杯を勝って、弥生賞も勝って、皐月賞も3着。ネオユニヴァースはミルコ(・デムーロ)で皐月賞を勝ったけど、はたしてどっちに乗るのが筋なんだ、と。僕はエイシンチャンプに続けて乗るのが筋だと思ったし、その選択に、お二方は何もおっしゃらなかった。
そりゃ後から言われましたよ。ネオユニヴァースが2冠馬になって、「アホやな、なんであっち乗らへんかってん」って。そう言う人がいる一方で、「見てる人は見てるよ」って言ってくださる人もいました。
僕は北橋先生と瀬戸口先生に、騎手としての土台、基盤をつくってもらった人間です。自分ひとりの力ではここまで来れませんでしたから。生まれからしてもそうですし。筋を通す選択が、自分が進むべき道だと。そこからダービーとは全然縁がなくて、このまま勝てずに終わるかもしれない、とも思いましたが、後悔はなかったですね。そういう人生だったんだなって、後で振り返るだけだろうなと。
まっ、勝ってみて思うことです。勝ってわかったことがたくさんあるし、勝ったからこそ語れることもありますね。