セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
サウジの女性がクリロナを見た日。
伊スーパー杯開催地問題の果てに。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byAFLO
posted2019/01/23 10:30
イスラム圏において、女性だけでのスポーツ観戦はながらく不可能だった。この日は歴史的な一戦だったのだ。
エリアは別でも、女性たちは笑顔だった。
女性だけの試合観戦は、実現したのか。
正確にいえば、スーパー杯観戦を望んだサウジの女性たちはチケット購入の際「ファミリーシート」エリアしか選べず、自由に席を選べる男性とはスタジアム内で半強制的に隔てられる形になっていたのだが、ミッチケ会長が強調したように、国営放送RAIの画面に映るスタンドには民族衣装に身を包んだサウジの女性たちの姿があった。皆笑顔ばかりだった。
ジェッダで歴史は変わった。
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西欧世界とイスラム世界の価値観の衝突は、われわれ日本人という第三者には少々わかりにくい。
アジアカップで日本代表が対戦したばかりとはいえ、我々にとってサウジアラビアは現実離れした砂漠の国で、それは自宅でTV観戦を余儀なくされた多くのユベンティーノやミラニスタたちにとっても同様だ。
欧州サッカーへの憧れは日本と同じ。
ただ、欧州サッカーに対する彼の地の憧憬や渇望に、日本人なら共感できる気がする。
われわれにも国立競技場にやってくるユベントスやミランを崇めた時代があった。12月の東京にやってきたプラティニやオランダトリオは、年に1度とびきりのプレゼントを運んでくるサンタクロースみたいだった。
僕らが彼らに熱狂したように、先週キング・アブドゥッラー・スポーツシティ・スタジアムにかけつけた満員の観衆や彼の地のファンは生のC・ロナウドを堪能したのだと思う。
公式戦とはいえ一発勝負のスーパー杯にはお祭りムードがあり、5年前に完成したばかりのピカピカのスタジアムの雰囲気は決して悪くなかった。南イタリアの田舎スタジアムの方がよっぽど治安が悪いと思ったぐらいだ。
女性差別、国際政治、外交。これらとサッカーは無関係であるべきだ、と口で言うのはたやすい。
だからこそ今、サウジアラビアで欧州サッカーの公式戦が開催されたことに意義がある。