ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
真面目な男が「クレイジー坊主」。
いつも体を張った飯塚高史の引退。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2019/01/18 10:00
新日本の名脇役として長年戦い続けた飯塚高史。ヒール転向は昔からのファンに衝撃を与えた。
寝耳に水の飯塚引退。
そういった世界的な流れとは別に、新日本に長年貢献してきた選手が、セルリアンブルーのマットを去ることになった。鈴木軍の“クレイジー坊主”飯塚高史の現役引退が発表されたのだ。
KUSHIDAやケニー・オメガらTHE ELITE勢の海外転出は、一部で噂されていたことだったが、飯塚の引退はファンにとって寝耳に水。またケニーらは、今後もなんらかのかたちで試合を見ることができるだろうが、引退する飯塚は本当にこれで見納めとなる。それだけに、ある意味でケニーらの離脱以上のショックをファンに与えた。
飯塚は、1986年11月に新日本プロレスでデビュー。闘魂三銃士(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)の2年後輩で、鈴木みのるの2年先輩。キャリアは32年を数える、新日本の現役最古参のひとりだ。
現在52歳。新日本所属選手では、獣神サンダー・ライガー(の正体とされる人物)に次ぐ高齢だが、いまだ筋骨隆々の上半身は若い選手にも負けていない。それだけに引退を惜しむ声も多いのだろう。
キャリア3年足らずで異種格闘技。
そんな飯塚が最初に注目されたのは、'89年5月25日の大阪城ホール大会。この年、旧ソ連で短期間のサンボ修行を行なった飯塚が、ソ連のサンボナショナル王者ハビーリ・ビクタシェフと異種格闘技戦で対戦した一戦だ。
この時、飯塚はキャリア3年足らず。当時の異種格闘技戦といえば、トップレスラーがプロレスの威信をかけて闘うものであり、若手選手が行うのは極めて異例のことだった。
なぜ、この試合が組まれたかと言えば、当時は前田日明、高田延彦らが旗揚げした第2次UWFが大ブームを巻き起こす一方、新日本は“冬の時代”と呼ばれる低迷期にあったことが挙げられる。
ちょうど、この'89年春には新日本の期待のホープだった弱冠20歳の船木優治(誠勝)、鈴木実(みのる)もUWFに移籍してしまい、「強さを求める有望な若手はUWFを目指す」という風潮ができあがりつつあった。そんな中で、「新日本プロレスにも“未来”がある」ことを示すべく抜擢されたのが、当時22歳の飯塚だったのだ。