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愛されている明治大学ラグビー部、
日本一奪還までの22年と田中監督。
posted2019/01/15 17:00
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph by
Nobuhiko Otomo
「本当に、明治って愛されてるなあと感じました」
明治大学ラグビー部主将の福田健太は、上気した顔で言った。
ラグビー大学選手権決勝で、明大は22-17で天理大を破り、22年ぶりとなる大学選手権優勝を飾った。表彰式を終えると、明大のメンバーたちは場内一周のビクトリーウォークに出た。
バックスタンドの最前列には、年齢も性別も外見もいろいろな、本当にたくさんのファンが押し寄せ、握手、ハイタッチ、記念撮影をせがむ。何百人、何千人残っていたのだろう。その誰もが、底抜けの笑みを浮かべていた。
愛されているチーム。
22年ぶり、待ちかねた優勝だから感激もひとしおなのだろう。22年も優勝から遠ざかっていたのに、これだけたくさんのファンが諦めずに待っていてくれたのもすごいことだ。
4年生が生まれたのは'96年度。
福田らいまの4年生は、前回の優勝、1996年度に生まれている。強かったときの明治を知らない。
「父は早稲田なんです。家庭内早明戦に勝ちましたね」と福田は笑った。子どもの頃は早明戦をテレビで見て、父が応援する早稲田を一緒に応援していたというが、何度か見るうちに、明治に魅力を感じるようになった。そして大学進学に当たっては「帝京大を倒したい」という一念で進路を考え、明大を選んだ。
「高校日本代表候補の合宿とかで、同期の仲間と『明治へ行こうぜ』という話が盛り上がったんです」と福田は明かす。
しかし……だ。そもそも、なぜ明治は22年も頂点から遠ざかっていたのか。
明大の前回の優勝は1996年度だった。
その年のシーズンが始まって間もない春。5月28日に北島忠治監督が死去した。
初代監督として60年以上も指揮を執り、明大ラグビーの象徴と呼ばれた大監督の逝去に、明大ラグビー部は紫紺のジャージーの襟を喪章代わりの黒襟にして、シーズンを戦った。