松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
パラ卓球で8連覇の吉田信一選手と
球を打ち合い、松岡修造が驚いた!
posted2018/12/03 07:00
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Yuki Suenaga
2018年、冬。
僕は韓国の平昌で、オリンピックとパラリンピックの取材をしました。
さまざまな発見があり、感動がありましたが、中でも心に残っていることがあります。
それは、オリンピックとパラリンピックの違いです。
オリンピックは、メダルがかかった試合や決勝ラウンド、頂点を目指して繰り広げられる戦いの場において、大きな感動が生まれることが多かった。
でも、パラリンピックはそうではありませんでした。
1回戦でも、決勝戦でも、予選でも、敗者復活戦でも、そこで繰り広げられているスポーツの感動、という意味では、あまり変わらない。どのような戦いにも、どのような試技にも、大きな感動がありました。
なぜ、そんな違いが生まれたのか。
それは、大会に出場しているすべてのパラアスリートのみなさんの存在感が、とてつもなく大きかったからです。
彼らは、この大舞台にたどり着いた時点で、すでにものすごく大きな壁を乗り越えてきています。そして、彼ら1人ひとりの人生のストーリーを知った時、「彼ら全員が勝者なんだ!」と感じたのです。
彼らはみんな、本当にすごい──ただただ、その事実に心が震え、感動したんです。
今回からNumber Webで、パラアスリートにじっくりとお話をうかがう連載を始めることになりました。
この企画を通じて、パラアスリートたちの人生を知りたい、そしてみなさんにお伝えしたいと思っています。彼らが紡いできた物語を、乗り越えてきた壁の大きさを知っていただくことで、みなさんのパラリンピックへの思いはより強くなるはずです。僕の役割、僕の使命は、パラアスリートの思いをできるだけ深く、できるだけ沢山の方に知っていただくこと。
素直な気持ちで、どんどん聞いていきたい。そう意気込んでいます。
記念すべき第1回のお相手は、吉田信一さん。
車椅子卓球のクラス3で8年連続、しかも通算で14度も日本一となり、リオパラリンピックに日本代表として出場した、国内の第一人者です。
吉田さんは今52歳。僕と年齢があまり離れていない。どんな人なんだろう──。
吉田信一(よしだしんいち)
1965年12月13日福島県生まれ。高校時代にバイク事故で車椅子生活となる。1994年に車椅子卓球を始め、6年後に上京、これまで車椅子卓球のクラス3で通算14度の日本一に輝く(現在8連覇中)。2016年リオ・パラリンピックに出場。2020東京パラリンピックへの出場を目指し、日々練習に励んでいる。NICT(国立研究開発法人情報通信研究機構)勤務。