Jをめぐる冒険BACK NUMBER
平山相太33歳、大学生になる。
満身創痍での引退と指導者への夢。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph bySatoshi Shigeno
posted2018/11/29 11:30
引退後、仙台大学の学生となった平山相太。授業の合間を縫ってインタビューに答えてくれた。
20代後半ごろから考えていた。
「東京時代の20代後半ごろかな、監督にしか分からないプレッシャーがあるんだろうなって思うようになって、それを自分も知りたくなったんです。選手時代、プレッシャーってそんなに感じたことがなくて。もちろん緊張はありましたけど、監督を見ると、そんなもんじゃないというのが分かる。そこに惹かれています」
引退後、監督を目指す元選手はたくさんいる。一般的なルートは、Jクラブのアカデミーのコーチを務めながら、監督のライセンスを取るというものだろう。
だが、平山の考えは違った。
「自分はサッカーしかしてきてないから、不安というか、疑問があって。監督になるにしてもサッカーしか知らない監督と、知識が豊富で、視野も広くて、いろいろな角度からアプローチできる監督と、どっちがいいかと言えば、後者のほう。それで、もう一回大学に通ってサッカー以外のことを学んでから、監督を目指したいなって」
人前で話すのは上手くないけど。
そんな平山に手を差し伸べたのが、仙台の強化育成本部長の丹治祥庸だった。
「丹治さんが『どうするんだ?』ってすごく気にしてくれて。『大学に行きたいんです』と話したら、丹治さんと(仙台大サッカー部監督の)吉井(秀邦)さんが知り合いで、『仙台大もあるぞ』って」
スマホで調べると、仙台大学では教員免許が取得でき、スポーツ心理学やスポーツ社会学などを学べることが分かった。
「これだなって。自分自身、人前で話すのが上手くないんですけど、教員免許を取ることで、そういう力も身に付くんじゃないかと。そう考えると、仙台大は自分にすごく合っているし、自分が仙台に移籍した結果として生まれた縁なので、そういうのを大事にしたいなって」
2月に行われたAO入試に合格した平山は今年の春、仙台大学の学生になった。
高校を卒業後、筑波大学に進んだように、もともと学ぶ意欲は旺盛だ。
「筑波のときは、代表キャンプばかりだったから、授業にはほとんど出られなかったし、プロになってからも、小説を読むくらいしかできなかった。今は勉強したい気持ちが強いから、やっぱり面白いですね」