Jをめぐる冒険BACK NUMBER
平山相太33歳、大学生になる。
満身創痍での引退と指導者への夢。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph bySatoshi Shigeno
posted2018/11/29 11:30
引退後、仙台大学の学生となった平山相太。授業の合間を縫ってインタビューに答えてくれた。
子どもとサッカーすら……。
'15年には背番号を13から9に変えて奮起。'17年には心機一転、ベガルタ仙台に移籍した。
開幕戦でベンチ入りを果たした平山に、途中出場のチャンスが訪れる。だが、タッチライン際で交代を待つ間に仙台が先制したため、出番を失った。
4度目となる大ケガを負うのは、その翌日のことだった。
練習試合で左足首を負傷。当初は全治12週間と診断されたが、状態は予想以上に悪かった。何度もメスを入れたが、実戦復帰できないままシーズンが終了。それでも復活を目指したが、年が明けても痛みが収まることはなかった。
「朝起きて、手すりにつかまらないと階段を下りられないような状態で」
平山はそう言って、決断を下したときの心境を語り始めた。
「できればサッカーを続けたかったけど、このままでは、日常生活にも支障をきたすんじゃないか、子どもとサッカーをすることすらできなくなるんじゃないかって……。それで、これ以上はもう、できないかなって」
監督になりたいんです。
周囲に引退の報告をすると、誰もが引き止め、残念がった。
高校時代のライバルであり、仙台で同僚となった増嶋竜也は「一度は一緒にピッチに立ちたかった」と嘆いた。
U-20代表時代のチームメイト、水野晃樹は自身のインスタグラムに平山への熱い想いをつづった。
「みんな、『もう少し休めば良くなるはずだから』って引き止めてくれて。でも、自分の足の感覚は自分が一番よく分かってる。この痛さは一生治らないだろうなって。インスタとか見て思ったのは、みんな、応援してくれてたんだなって。だから『俺の分まで頑張って』と伝えました」
スパイクを置くことに未練がなかったわけではない。それでも決意を固められたのは、年々膨らむ夢を持っていたからだ。
「監督になりたいんです」
平山は瞳を輝かせて言った。だが、その理由がいかにも平山らしく、独特だ。