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平山相太33歳、大学生になる。
満身創痍での引退と指導者への夢。

posted2018/11/29 11:30

 
平山相太33歳、大学生になる。満身創痍での引退と指導者への夢。<Number Web> photograph by Satoshi Shigeno

引退後、仙台大学の学生となった平山相太。授業の合間を縫ってインタビューに答えてくれた。

text by

飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

PROFILE

photograph by

Satoshi Shigeno

 仙台駅からローカル線に乗って30分。船岡駅で下車し、南へと伸びる通りを行く。

 仙台駅周辺とは打って変わって、のどかな時間が流れている。すれ違う学生の多くは、ジャージー姿だ。

 10分ほど歩くと、道は大きく左へとカーブし、その先に目的地が見えてきた。

 仙台大学。1967年に開学した私立の体育大学で、冬季五輪を中心に何人ものオリンピアンを輩出している。

 校門をくぐり、受付の近くで待っていると、平山相太が現れた。

 国見高校時代に“超高校級”と謳われたストライカー。全国高校サッカー選手権における通算ゴール数17は、今なお歴代最多記録だ。

 その後、筑波大学に進学。19歳だった2004年、アテネ五輪代表に飛び級で選出された。20歳でオランダに渡り、いきなり8ゴールをマーク。'06年に帰国するとFC東京に加入し、'10年の日本代表デビュー戦ではハットトリックの偉業を成し遂げた。

 そんな“平成のモンスター”は今、仙台大学に通っている。

引きずる足、負った傷の深さ。

 着古したシャツにジーンズ、リュック姿は大学生そのものだ。リュックの口が開いていることを指摘すると、「壊れちゃって、閉まらないんすよ」とおっとりした口調で答えた。その掴みどころのなさは、以前とまるで変わらない。

 だが、わずかに足を引きずって歩く姿が、負った傷の深さを感じさせた。

 平山は今年1月、12年半に及んだプロ生活に終止符を打った。

 キャリアの晩年、平山はケガに泣かされ続けた。

 最初の大ケガを負ったのは'11年4月のことだった。練習試合中に脛骨・腓骨を骨折してシーズンを棒に振ると、翌'12年5月にも腓骨・短腓骨筋を挫傷。さらに'14年、今度は試合中にタックルを浴び、右足首内果骨折の重傷を負った。

 それでも平山は再起を誓い、リハビリに励んだ。

【次ページ】 子どもとサッカーすら……。

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