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スピードスケートに不可欠の土台、
開西病院と十勝地方の幸せな関係。 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byKyodo News

posted2018/11/23 11:00

スピードスケートに不可欠の土台、開西病院と十勝地方の幸せな関係。<Number Web> photograph by Kyodo News

11月16日に行なわれたW杯の女子500mで3位に入賞した辻。帯広でW杯が行なわれるのは4年ぶり5回目。

バンクーバー五輪に2人を輩出。

 このように語る細川理事長には、部をつくった当初から選手にも仕事の現場に関わってもらいたいという思いがあった。病院を宣伝するためだけに選手を雇っているわけではないと考えていたからだ。

「選手としてスケートで頑張ってもらうのはもちろんですが、地元で職を持って活動することが大事だと思うのです。それは、引退した後も子どもたちの指導という形で地元に貢献してほしいからです。ですから、選手には時間が空いている時には自分もスタッフであるという意識で一緒に仕事をしてもらう。それを大前提として雇用していました」

 開西病院に所属し、川原監督の下で生き生きとトレーニングに励んだ平子と土井は、'10年バンクーバー五輪にそろって出場を果たした。

 開西病院はその後、専大を卒業して地元に戻ってきた今野陽太を'11年に、白樺学園卒業後にいくつかのチームを渡り歩いていた辻を12年に採用。辻は'14年ソチ五輪に出場し、今野は五輪こそ出られなかったが、1500mで日本記録を樹立した。

 辻は、オフの間、系列のデイケアサービス施設で働きながら練習を行なっている。

「利用者の方々から頑張ってね、と言われるなど応援してもらうのが嬉しい。力になっています」と辻は言う。一方で、施設の利用者にとっても、アスリートがすぐ隣にいることが活気を生んでいるという。アスリートの元気が利用者を元気づけるのである。

地元企業にも相乗効果が。

 '06年4月に開西病院スケート部が発足したのをきっかけに、十勝地方には多くのスポーツの実業団チームが誕生した。開西病院の取り組みが地元の企業にも影響を与え、新規の企業が真剣にスポーツ支援を考えるようになっていったのだ。

 大所帯のチームはなくとも、それぞれがそれぞれの規模で選手をサポートしてスケート界を盛り上げている。平昌五輪でのメダル量産においてナショナルチームの功績はもちろん大いが、裾野の部分で開西病院が果たした役割もまた大きい。

「それまでも個人スポンサーという形で選手を支援している病院はあったのですが、職員として雇って、選手は給料をもらいながら活動するという形は、開西病院が最初だと思います。こういう形をお見せすることができたのは良かった」

 アスリートは企業の宣伝役であり広告塔であるという既成概念を破り、病院という新たな分野がスケート部を持つというスタイルを打ち出したことにも意義がある。開西病院スケート部が誕生してから3年後の'09年には、小平奈緒の地元である長野県松本市で相澤病院スケート部が誕生した。'17年には加藤条治が所属する博慈会スケート部もできている。

【次ページ】 選手のサポートをどうするか。

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