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スピードスケートに不可欠の土台、
開西病院と十勝地方の幸せな関係。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byKyodo News
posted2018/11/23 11:00
11月16日に行なわれたW杯の女子500mで3位に入賞した辻。帯広でW杯が行なわれるのは4年ぶり5回目。
活動費は1人あたり250万円ほど。
'06年2月のトリノ五輪が終わってから少し経った時のことだった。帯広の居酒屋でたまたま隣り合わせになった紳士が「個人的にスピードスケートの選手を応援している」と話していた。
詳しく聞くと、所属チームに企業名をつけているわけではなく、年間100万円ほどの個人サポートだという。そして、「企業としてスケート選手を応援してくれるところがなかなかないんですよ」とこぼしている。
細川理事長はそこで「どれぐらいの応援をしたらいいんでしょうかね」と尋ねてみた。すると、月給に加えて遠征費などで掛かる活動費は1人あたり250万円ほどだという。(※大卒者の平均初任給額は厚生労働省の平成29年賃金構造基本統計調査結果によると20.6万円)
紳士から「できる範囲でいいですから応援してあげてください」とお願いされた細川理事長は、日頃から地域の病院として果たす役割は何だろうかと考えていたこともあり、その場で「それなら頑張りましょう」と言ったのだった。
五輪代表の川原が監督に。
紳士の行動は驚くほど素早かった。居酒屋の席に座ったまま携帯電話を取りだし、帯広で長くスケートの指導に携わっているインスブルック五輪、レークプラシッド五輪代表の川原正行(当時帯広市教育委員会職員)に電話を掛けた。
川原は突然の話に驚きながらも、スケートを続けるために所属先を探していた平子裕基と土井槙悟を紹介。細川理事長は2人を'06年4月に開西病院の職員として採用し、同5月から開西病院スケート部の活動が始まった。川原は監督を務めることになった。
長距離選手の平子は明大1年だった'02年にソルトレークシティー五輪に19歳で出場したが、'06年トリノ五輪は出場権を獲得できずに所属先を失い、引退も考えていた。土井は早大4年で出たトリノ五輪代表選考会で敗れ、こちらも卒業後の所属先を見つけていなかった。
当時のスケート界は不況のためチームが減り、北海道内の実業団は岸本医科学研究所(苫小牧)とびっくりドンキー(札幌)の2つしかなかった。十勝地方には長野五輪金メダリストの清水宏保らを輩出した白樺学園のほかにも、長島圭一郎がら出た池田高校などの強豪校がある。その十勝地方に初めて本格的な実業団チームが誕生したことは画期的な出来事だった。
今でこそスピードスケートでは、ナショナルチームの選手の活動費を日本スケート連盟が負担するようになっているが、'14年ソチ五輪以前は公式大会への派遣などを除けばすべて所属スケート部が出す形だった。
「何千万も出すことはできないけど、それくらいで良いなら、ということで始めました。スケート選手には夢があります。病院として、地域として、応援していこうということになりました」