終われない男の対談集BACK NUMBER
鏑木毅と宮坂学の共通点は“冒険心”。
人生100年なら、50歳で何をする?
posted2018/11/25 09:00
text by
礒村真介Isomura Shinsuke
photograph by
Shin Hamada
ヤフーの社長に44歳の若さで就任し、2018年1月に社長交代が発表された宮坂学(51)。現在は同社の会長職を務めつつ、ブロックチェーンやMaaS(次世代交通サービス)などに取り組む新会社「Zコーポレーション」の代表取締役として新たなビジネスをスタートさせている。
その宮坂の趣味はマラソンやバックカントリースノーボード、自転車と、アウトドアスポーツにどっぷりはまっている。
トレイルランニングにも10年ほど取り組んでいるという宮坂にとって、今回初対談となるトレイルランニング界のレジェンド・鏑木毅(50)は、「憧れの存在だった」という。山とスポーツという共通項を持ち、「人生100年時代」の折り返し点に立った2人の、「後半戦」への意気込みとは。
鏑木 社長から退いたとしても、まだまだお忙しいんじゃないですか?
宮坂 そうでもないんですよ。ただ、ヤフーの社長だったころに比べたら、夜はぐっすりと寝られるようになりました。以前は睡眠の質が落ちたのは「年齢のせいかな?」と思っていたのですが、気を張っていたからという側面が強かったようです。
鏑木 僕も自分が運営に関わるトレイルランの大会の前は、準備の進捗や心配ごとばかりが頭に浮かんできて、あまりよく寝られません。
宮坂 2012年に、鏑木さんが実行委員長をされている日本初の国際100マイルレース「UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)」が始まりましたよね。160kmものルート、それも山道をつなぐレースを国内で立ち上げるのは本当に大変なことだと想像します。よく開催できたなあと。
鏑木 熱い想いをもったスタッフに恵まれたんです。その分、個性的なメンバーが多く、まとめるのが大変でしたが、自分は目標を掲げて皆を引っ張るというより、調整をするタイプのリーダーなので、それがよかったのかもしれません。
100マイルのトレランが「やり残し」。
宮坂 UTMF以前と以後で、日本のトレイルランニングシーンは大きく変わったのではないでしょうか。マラソンで言えば東京マラソン以前、以後のように。
鏑木 当時の僕にも、まさにトレラン界の東京マラソンにしたい、というイメージがあり、どうしてもこの100マイルレースを作り、成功させなくてはという信念がありました。
宮坂 実は僕も第1回大会にエントリーしていたんです。実質的には国内初の100マイルレースで、まだ誰も参加したことがないから事前の情報がいっさいない。だからこその特別な面白さがありました。
コース、装備、ペース配分、ほとんどの参加者が暗中模索状況だったじゃないですか? あれはワクワクしました。でも、その年のはじめに6月から社長に就任することが決まり、自重して参加を見送りました。ただレース当日は、河口湖まで観戦しには行ったんですけれど。
鏑木 そうだったんですか! 私も今まで6回開催して、第1回大会のときのドキドキと感動が一番大きかったですね。
宮坂 よく「社長にならないと見れない景色やモノがある」と言いますが、一方で失ったこともあるんです。そのうちのひとつが「UTMF」で。50代に足を踏み入れたいま、100マイルのトレイルランニングレースへの挑戦は早めに片づけておきたい「やり残したこと」です。
鏑木 ぜひ改めて挑戦してください。まだまだ身体は動きそうですから、100マイルレースへ挑戦するのはちっとも遅くないです。先ほどおっしゃった社長の座と同様に、100マイルを走る前と後ではものごとの見え方が違いますから。