終われない男の対談集BACK NUMBER
鏑木毅と宮坂学の共通点は“冒険心”。
人生100年なら、50歳で何をする?
text by
礒村真介Isomura Shinsuke
photograph byShin Hamada
posted2018/11/25 09:00
50歳を迎えても、彼らはなお新しい世界に踏み込む事をまったくためらってはいない。
「ハセツネ」を巡る2人の秘話。
宮坂 実は、高校では山岳部に所属していたんですよ。当時はまだ国体に「山岳縦走競技」があり、出場したこともありました。でもそのレースがキツくてキツくて。何で石を詰めた重いザックを背負って走らなきゃいけないんだ、と(笑)。
鏑木 国体には僕も出ているので、わかります。まぁ、あれはあれで面白いんですけど。
宮坂 29歳のときにヤフーに入社して、最初は余裕がなかったのですが、3年ほどたった32歳のころから少し余裕が出てきまして。そのときちょうど、デスクワークの反動からか腰痛持ちになってしまったんです。
そこで、健康のためにもう一度山に行こうと。夏山だけでなくバックカントリーにハマって、長野県白馬の駐車場に寝泊まりしては滑っていました。白馬の駐車場でだけ挨拶を交わす雪仲間が何人もいて、そのときの友人たちとはとくに仕事の話もしなかったから、僕が社長になったっていうことも知らないはずです。
2003、4年からはアドベンチャーレースやトレイルランの大会に出始めました。'04年にハセツネ(通称。正式名称は「日本山岳耐久レース」)も走っています。トレイルランニングに関する情報も少なくて、そのころは仲間と一緒に補給食を手作りしたりしました。マズくて、とても食べられたものじゃなかったんですけど。
これは完全に余談ですけど、ハセツネに関してツイッターでつぶやいたのは僕が日本で最初のはずです。当時はツイッターが出始めのときに、とりあえずやってみよう、とアカウントを持っていた。でも何をつぶやいていいかわからなくて、「そうだ、ハセツネだ」と。で、レース中に「第1関門なう」って(笑)。
鏑木 すごい秘話が。でも、ずいぶん昔から山を走られているんですね。僕はハセツネを走ったのはトレイルランを始めてしばらくたってからで、2005年に初出場。ハセツネに関しては宮坂さんが先輩ですね。
宮坂「鏑木さんゴッコをしてました(笑)」
宮坂 鏑木さんが初出場された2005年も僕はエントリーしてたんですけど、出走できず、第2関門の月夜見で仲間を応援していました。第2関門は中間地点にあり、レース中唯一の公式給水ポイントなんですけど、2、3番手で入ってきた鏑木さんが「前と何分差ですか?」「3分です」と確認するやいなや、給水をパスして前を追いかけていった。
71.5kmのレースなのに、唯一の給水ポイントで給水をしないなんて考えられない。もう、シビれちゃって。トレランの仲間うちでよく「前と何分差?」と、鏑木さんゴッコをしていました(笑)。
鏑木 なんと山奥で10年以上も前に一度お会いしてるんですね。照れるというか、嬉しいです。
宮坂 そりゃあもう、憧れでしたから。レースを走っている姿をみたのはそのときが最初で最後です。鏑木さんはギラギラされてましたね。
鏑木 当時は「レース前のカブラキには声をかけられない」ってよく言われてました。本人としてはそんなつもりはなかったんですけど、あのころはまだ「人生こんなものじゃないはず」という反骨心のようなものが、心の奥底でうごめいていました。それが「ギラギラ」になって現れていたのかもしれないですね。