終われない男の対談集BACK NUMBER
鏑木毅と宮坂学の共通点は“冒険心”。
人生100年なら、50歳で何をする?
text by
礒村真介Isomura Shinsuke
photograph byShin Hamada
posted2018/11/25 09:00
50歳を迎えても、彼らはなお新しい世界に踏み込む事をまったくためらってはいない。
宮坂「仕事の人間関係に悩んで1人で山へ」
宮坂 仕事ってからだにもストレスがかかりますから、コンディショニングが大事。ですからヤフーの社長時代も走ることは欠かしませんでした。
僕の持論は「フィジカルの上にモチベーションがある」というもの。腰が痛いとやる気が出ませんし、体調を崩していてはせっかくのスキルも発揮できません。だから舗装路のランニングが中心でしたけど、楽しいということ以上にコンディショニングのために走っていました。
鏑木 走ることでストレスが解消されますよね。今では一般的にもよく知られていますが、走ることで脳の前頭葉が刺激されて好影響があります。フィジカル的には疲労がたまっているはずですが、メンタル的にはリフレッシュされるというか。
宮坂 自分を含め、周りを見回すと30代で走り始める人間が多い気がします。仕事上の悩みも多い時期で、一種のミドルエイジクライシスなのでしょうか。僕の場合、仕事の悩みの原因は、もちろん売り上げも気になるんですけど(笑)、9割は人間関係に関することだったので、それもあって1人でまた山に行きはじめたんです。
鏑木 僕もプロになる前の公務員時代は、週末ごとに山を走りまくっていましたよ。それこそ腰が立たなくなるまで走って、月曜日にまた仕事に行く。中途半端な疲れじゃダメで、とことん追い込んだときの方がいいひらめき、インスピレーションが湧きます。一種の無の境地ではないでしょうか。トレイルランニングに出会えて本当によかった。宮坂さんも山でうまく気分転換ができたから、ヤフーの社長になれたのかもしれませんね。
宮坂 社長に推薦された理由は、本当にわからないんです。でも、さきほどの鏑木さんのお話しと重なるのですが、昔から「何者かにはなりたい」とは思っていました。でも、何になれるかも分からなくて。
鏑木 20代はあがいていたのでは? 僕もそうだったので……。
宮坂 暗黒時代です。二度と帰りたくない(笑)。
鏑木「僕の原体験も山ですね」
鏑木 人と違う何者かになりたかったというのは、何か原体験があるのでしょうか。
宮坂 やっぱり山での経験が影響しているかもしれません。父親が変わった人生を歩んでいて、54歳のとき、突然、それまでの仕事を辞めて北アルプスの山小屋で働きはじめたんです。住み込みで働いて、家にはほとんど帰ってきませんでした。僕はそのとき大学生で、いまは父親の気持ちもわかるのですが。当時は驚きましたよ。
そんな山好きの父親だったから、よく山に連れていかれましたし、自宅に山の本がたくさんあって、そのなかに冒険家の植村直己さんの本もありました。それを読んで「冒険」というものに憧れた。不確かなこと、この先どうなるかわからないことに挑むのは楽しそうだ、と。
ヤフーに入社したころはまだインターネットが普及していない時代で、あの頃のウェブ業界に身を置いていると、未開の世界を切り拓いていくような感覚があったんです。それこそ第1回のUTMFと似ているかもしれません。だからこそ、ヤフーの社長として50歳になったとき、自分の方向性が変わらないのもどうかなと思い、新しい会社を立ち上げました。そこにあるのかもしれません。
鏑木 経営者としての原体験は冒険ですか。意外ですが、聞くと納得できるお話ですね。僕も少し違いますが、やはり山が原体験です。公務員を辞めてプロのトレイルランナーになる決意をしたのも、UTMFという大会を作るというひらめきも、山を走っていたときでした。
仙人のようにずっと山に籠るのではなく、都市に暮らしていて、たまに山という非日常に身を置くからこそのよさがある。でも、宮坂さんがヤフーの社長を退いてなお、先行きの不確かな分野に挑戦されるというところ、自分も見習わなければと思います。