終われない男の対談集BACK NUMBER
鏑木毅と宮坂学の共通点は“冒険心”。
人生100年なら、50歳で何をする?
text by
礒村真介Isomura Shinsuke
photograph byShin Hamada
posted2018/11/25 09:00
50歳を迎えても、彼らはなお新しい世界に踏み込む事をまったくためらってはいない。
宮坂「仕事より面白いことはいくつもある」
宮坂 人生100年時代と言われますが、そのロールモデルになる最初の世代が僕たちの世代なのかなと感じています。人生80年であれば、それまでの仕事に60歳までしがみついたかもしれませんが、そんな時代じゃない。50歳は、中間地点です。
マニアックな例えですが、ハセツネなら第二関門の月夜見に到着し、後半はあまり登らなくていい、下り基調だなと一息ついているところ(笑)。もちろん、レースの後半戦に挑むという考え方をしてもいいのですが、ここからまた新しいレースが始まる、始められると考えても楽しいんですよ。例えば、僕はカレーライスが好きなんですけど……。
鏑木 カ、カレーですか!?
宮坂 はい。それで、今から本気でインド料理を習いはじめれば、70歳になったときにけっこういいところまでカレーづくり究められそうだよな、とか考えます(笑)。25~50歳までと50~75歳までで、もう一度同じだけのキャリアが積めますから、リセットして種目を変えるチャンスでもあるんです。たとえ前半に上手くいかなくても、後半にもう1チャンスある。うちの父親がまさに50歳すぎから人生の2回戦をやっていました。
鏑木 定年退職してから自分の時間を楽しむというのは、とてもいいことですけど、これからの時代では「リタイヤしてからが自分の時間」という考え方を、考えなおしてもいいかもしれませんね。世の自己啓発書には、30代40代が勝負って書いてあるけれど、そうじゃない。
宮坂 「仕事より面白いことはない」と身を粉にして働く人もいますが、自分は仕事より面白いことをいくつも知っているので、もったいないなぁと思っています。鏑木さんは次の50年に関して何かビジョンをお持ちですか?
鏑木 うーん、やっぱり山でしょうね。2年前にチリのパタゴニア地方を走る「ウルトラ・フィヨルド」というレースに出たのですが、初めてのパタゴニアで手つかずの自然の厳しさに衝撃を受けました。ネットでは写真や山の情報を見聞きしていたのですが、この目で、身体で、五感で体験するのとは全然違いました。
世界にはパタゴニアのようにまだまだ行っていない山がたくさんあるので、いろいろとまわりたいです。でも、まず2019年の夏にもう一度UTMBを走ろうと、今はトレーニング量を増やしているところです。50歳のからだで、世界一を決めるウルトラトレイルの舞台でどこまでやれるか。
宮坂 パタゴニアもUTMBも素敵な挑戦ですね。今までと別の何かにチャレンジするときは、まず今のことをやり切らないと次を考えにくいですよね。鏑木さんが50歳でもう一度UTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)を走るというのも、そういうことなのでは、と共感しています。
鏑木 上手くいくかどうかは分からないけれど、納得のいくまでやり切りたいです。人生100年時代の後半も山からは離れられないだろうけれど、海にも行ってみたいですね。実はサーフィンには興味あります。
宮坂 本当ですか? 僕はこのあいだ社会人になって初の長い夏休みを取って、5週間ほどハワイに行ってきたんです。そこでサーフィン合宿をして、毎日海に入っていました。すごく楽しい時間でした。
鏑木 いろんな人から「鏑木さんあれいいよ」、「波の上は不安定だからトレイルランの体幹を鍛えられるよ」って聞いていまして。……って、これじゃあ山を走るトレーニングから離れられてないですね(笑)。
宮坂学(みやさかまなぶ)
1967年生まれ。山口県出身。同志社大学経済学部を卒業後、ベンチャー企業を経て1997年に設立2年目のヤフー株式会社に転職。2012年6月より同社社長に就任し、PCへの依存が大きかった事業のスマホシフトを実現させた。2018年6月、ヤフー新執行体制移行のため代表権のない会長に退き、現在はヤフーの100%子会社であるZコーポレーションの代表取締役社長を担う。
鏑木毅(かぶらきつよし)
1968年生まれ。早稲田大学競走部で箱根駅伝を目指すもケガのために断念。28歳のときにトレイルランニングのレースに出場し、花開く。40歳のときにプロへと転向し、主に100km以上のウルトラトレイルの国際レースで活躍。とくに世界最高峰のレース「UTMB」では4度も表彰台に登る。現在は2019年の夏に50歳で再びUTMBへと挑戦する「NEVERプロジェクト」に取り組んでいる。