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中島翔哉の“助走期間”を見続けた男。
安間貴義に届いた1通のメッセージ。 

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渡辺功

渡辺功Isao Watanabe

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posted2018/10/28 11:30

中島翔哉の“助走期間”を見続けた男。安間貴義に届いた1通のメッセージ。<Number Web> photograph by AFLO

カターレ富山時代の中島翔哉。当時、現在の活躍ぶりを想像した人はどれだけいるだろう。

FC東京では公園で自主練。

 シーズンがいよいよ佳境に入る8月の終わり、中島は保有権を持つFC東京へレンタルバックしていく。富山に加入したとき同様、周囲からすると「唐突に」といった感は否めなかった。成長した姿を観たFC東京側が復帰を熱望したことや、当時のクラブライセンス制度によって、3期連続の赤字が許されなかった富山側の経営状況など、さまざまな事情が重なってのことだった。

 このシーズン、富山は最後まで低迷から抜け出すことができず、J3に降格した。引責、退任をした安間は翌'15シーズンから、FC東京のコーチに就任する。つまり昨夏、中島翔哉がポルトガルに移籍するまでの2年8カ月の間、再び同じクラブのウェアに袖を通す巡り合わせになったのだ。

「フィッカデンティ監督は、全体練習以外に選手が自主練習をするのを認めない方針だったんですけど、翔哉は隠れて筋トレをやったり、公園に行って自主トレをやったり。『もし監督にバレたら、代わりに安間さんが怒られておいてください』なんて、フザけたことを言いながら(笑)。

 いろんな手段を駆使して、いまの自分に足りないと思ったことは、とことんやり通していました。試合のときだって、ウォーミングアップが始まる直前まで、毎回アイツの1対1に付き合わされましたよ」

「アイツはずっとブレない」

 ポルティモネンセでゴールを量産、日本代表でも出場4試合で確たる存在感を示している。富山、FC東京で見てきた中島翔哉と、ポルトガルに渡ってからの姿には、どんな変化を感じているのだろうか。

「僕からすると、何かが変わったワケではなく、ずっとつながっている印象なんです。これまでやってきたことを、そのまま変わらずにやっている。相手の最終ラインに対してプレーするっていうのは、富山の頃からずっと続けていることです。その頃から日本人相手より外国人選手のほうが向かってくる分、かわしやすいし、抜きやすいと言っていましたし。ゴールに対する意欲だって、日本にいたときから持っていた。だけど、質が伴っていなかっただけの話ですから。

 アイツは、ずっとブレていないんです。ブレずにやり続けているから、質が上がっている。自分の進むべき本筋を見失わずに、ずっとやり続けているから、周辺の枝葉の部分にも目が届くようになって、それもできるようになってきた。

 いまの日本代表みたいな、どんどん前へ前へ行くサッカーは、翔哉に合っていると思います。この先ビッグクラブへの移籍が実現すれば、相手との力関係で、攻め込まれる時間が短くなるハズです。その分、苦手な守備をしなくて済む場面が増えるかもしれない。そういった選択をできるだけの立場を、アイツは自分の力で勝ち獲ってみせたんです」

 長かった助走をブレることなく走り切り、いま飛翔のときを迎えた24歳。いまでは滅多に連絡を取り合うようなことはないが、今年久々に安間のもとに届いたメールには、こんなメッセージが書かれていた。

「ポルトガルで1対1をしましょうよって。アイツ、やっぱりフザけてるでしょ」

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