Jをめぐる冒険BACK NUMBER
ベルマーレ伝説の広報・遠藤さちえ。
最初はほぼストーカー、そして……。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2018/10/26 10:30
ルヴァンカップ決勝前、曹監督とともに笑顔の遠藤さちえ。彼女とベルマーレの幸せな関係は続いていくはずだ。
しゃべらなくなったヒデの姿を見て。
外国籍選手のサポートとマネージャーを兼任していた遠藤が、15年続けることになる広報の世界に飛び込むのは、2001年のことだった。
「眞壁さんに『おまえに広報をやってもらおうと思う』って、すごく真剣な表情で言われたんです。『広報はクラブの生命線だよ。それくらい重要な仕事だけど、できるか』って。『ぜひ、やらせてください』って答えたんですけど、最初にそう言ってもらったから、覚悟を決められたんだと思います」
眞壁からの打診を受けたとき、頭に浮かんだのは5年ほど前の出来事だった。
「ヒデのことを見ていたので……」
'95年に加入した中田は、高卒ルーキーながらポジションを掴み、瞬く間に中心選手になった。ところが、しばらくしてメディアに対して口を閉ざすようになってしまう。
「普段のヒデはすごく優しくて、周りに気を配れる好青年。それなのに、本人が伝えようとしていることがうまく伝わっていないようで、とても残念だった。だから、選手とメディアを繋ぐ広報に指名されたとき、やる気が漲ったんです」
取材現場に立ち合うようになって感じたのは、選手から学ぶことの多さだ。
「選手たちってサッカーと真摯に向き合って、本当に真剣に生きてるんです。それにチームメイトって、仲間であると同時にポジションを争うライバルでもあるじゃないですか。そういう関係も凄いなって」
取材エリアを素通りする選手とは言い合い。
クラブの公式ホームページで「馬入日記」を始めたのも、選手から毎日のようにもらっている感動を、少しでも多くの人に伝えたいと思ったからだ。
「選手はいろいろな想いを抱えて戦っているし、メディアの皆さんも真剣に耳を傾けて記事にしてくれる。取り上げてもらうことで選手の価値も高まるし、記事を読んで勇気をもらう人もいるかもしれない。両方の真剣さに応えたいと思ってました」
中には取材されることの価値を分からず、取材エリアを素通りする選手もいた。
「そんなときは、もう言い合いです。バスに乗り込んで『降りろ!』と怒鳴ったこともあります(笑)。だって、普段の生活で人の呼びかけを無視することってありますか」
どんな仕事でも想像力が大事――それが、遠藤のモットーだ。
「この選手の話が聞きたくて、遠くから取材に来たのに、その選手が取材エリアを素通りしたら、どんな気持ちになるか。サポーターもそう。頭を撫でてもらったことが嬉しくて、サッカーが大好きになって、その子の人生が変わることもある。サッカー選手って、それだけ影響力のある存在だっていうことを、分かってほしかったんです」