Jをめぐる冒険BACK NUMBER
ベルマーレ伝説の広報・遠藤さちえ。
最初はほぼストーカー、そして……。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2018/10/26 10:30
ルヴァンカップ決勝前、曹監督とともに笑顔の遠藤さちえ。彼女とベルマーレの幸せな関係は続いていくはずだ。
「このクラブで働きたい」
だからといって、すぐに採用が決まるほど世の中は甘くない。面会に漕ぎ着けることも困難だったが、会ってくれたクラブのひとつが、ベルマーレだった。
「でも、最初は断られたんです。人は足りているからって。ただ、上田さんの対応がすごく優しくて、この方に会ってみたい、と思ったんです。それで『ダメなのは分かっていますが、勉強のために会っていただけませんか』って」
了承を得た遠藤はクラブハウスを訪問し、大神グラウンドを見学した。そこで遠藤は魅せられるのだ。ファミリー的なベルマーレの雰囲気に、そして、上田の人柄に――。
「上田さんから、ベルマーレを大切に思っていることが感じられて、このクラブで働きたい、と思ってしまったんです。それで、また燃えてしまって(笑)」
人生が決まる電話、嘘はつけない。
どうしても諦められない遠藤は、定期的に上田にアプローチしながらチャンスを待った。すると、短大卒業を間近に控えた1996年2月、一本の電話が掛かってきた。
「あ、上田さんだって。そうしたら『遠藤さん、ポルトガル語できる?』って」
ベルマーレはこの頃、ブラジル人のトニーニョ・モウラ監督を招聘し、ブラジル人選手も多数獲得していた。通訳はいたが、家族を含めてブラジル人のケアを担当するスタッフが必要だったのだ。
その瞬間、遠藤は直感した。この電話で自分の人生が決まるかもしれない――、と。
「嘘はついちゃいけない。でも、喋れませんとも言いたくない。それで、しばらく沈黙したあと、『絶対しゃべれるようになります』って言ったんです。そうしたら、上田さんも吹き出しちゃって。『じゃあ、やってみる?』って」
短大を卒業する前にベルマーレで働くようになった遠藤は、ブラジル人と毎日接しながら、独学でポルトガル語を学んでいった。
「日常生活で彼らに問題があったとき、頼れるのは私しかいない。最初の頃は、自分のできなさ加減に毎日トイレで泣いてましたね。でも、人生で一番勉強しました。崖っぷちに立たされると頑張れるもんだなって(笑)。一応しゃべれるようになりました」
それぞれの家族と3日続けてディズニーランドに行ったこともあれば、2日連続で富士山に登ったこともある。手術にも立ち合ったし、出産にも立ち合った。