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ベルマーレ伝説の広報・遠藤さちえ。
最初はほぼストーカー、そして……。 

text by

飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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photograph byAtsushi Iio

posted2018/10/26 10:30

ベルマーレ伝説の広報・遠藤さちえ。最初はほぼストーカー、そして……。<Number Web> photograph by Atsushi Iio

ルヴァンカップ決勝前、曹監督とともに笑顔の遠藤さちえ。彼女とベルマーレの幸せな関係は続いていくはずだ。

自分から異動は言い出せなかった。

 反町康治監督を招聘した09年、ベルマーレは11年ぶりにJ1復帰を果たす。

「これまでの人生で最大級の喜び」を味わった遠藤の脳裏に浮かんだのは、ふたりの男の姿だ。ひとりは消滅の危機に奔走し、当時社長を務めていた眞壁。もうひとりは、ミスター・ベルマーレ、坂本紘司(現スポーツダイレクター)である。

「紘司さんは……当時は紘司って呼んでいたんですけど、誰もが下を向いちゃうようなときでも絶対に諦めなかった。そういう姿を見ていたから、特別かなと思います」

 その後、降格と復帰を繰り返しながら、曹貴裁監督のもとJ1を戦っていた'15年、遠藤は広報を離れることになる。異動を命じられたのだ。

「広報の仕事が大好きだったから、寂しさがありました。同じ日は1日もなくて、毎日感動していた。そんな環境にいられて、すごく幸せだと思っていたから」

 ちょっぴり感傷に浸った遠藤は、「でもね」と話を紡いだ。

「分かっていたんです、私ひとりが広報を続けていることは、クラブにとっていいことじゃないって。でも、自分から異動願いは出せなかった。やっぱり大好きだったから。だから異動を命じられて、背中を押してもらったような気もしたんです」

 今、遠藤は営業として日々奮闘している。

「今、スポンサー営業を担当してるんですけど、やり甲斐があるし、すごく面白くて。お金の流れやクラブ全体のことを今まで以上に考えるようになったし、広報はひとりでやっていたんですけど、営業はチームで動くので、新しい経験になっています」

「日本一、愛されるクラブになりたい」

 長年、クラブとともに歩んでいると、いろいろなことが起きる。

 2000年には中田がスポンサーになってくれたし、クラブ創立50年目を迎えた昨年はフジタがスポンサーとして復活した。そして今年、曹監督に率いられたチームはルヴァンカップ決勝に進出した。ベルマーレが天皇杯を制したのは'95年の元日だったから、タイトルを獲得することになれば、遠藤にとって初めての経験となる。

「日本一、愛されるクラブになりたいんです。ベルマーレがあるから人生がもっと楽しくなったとか、勇気を持てたとか。人と地域を大切にする部分はずっと変わらず、でも、チャレンジを恐れず、進化していくクラブでありたいなって」

 他でもない遠藤自身の人生がベルマーレによって彩り豊かなものになった。クラブへの愛を力に変えて、同じようにクラブを愛する人たちとともに、遠藤はこれからも湘南ベルマーレを支え、未来を作っていく。

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