ファイターズ広報、記す。BACK NUMBER
矢野謙次と石井裕也の恩人を訪ねて。
日本ハムでの引退、寂しさと喜び。
posted2018/10/13 09:00
text by
高山通史Michifumi Takayama
photograph by
Kyodo News
寂しさは募るが、秋には役得な任務がある。日ごろ、接している選手たちの源流に、触れることができる。広報として、引退セレモニーの準備に少しだけ携わっている。この2年間、スタッフの何人かで構成などを企画する儀式に関わらせてもらっている。
今シーズンは、2人が対象だった。
矢野謙次選手、石井裕也選手。ともにセ・リーグから移籍してきたが、ファイターズで現役生活に幕を下ろすことになった。
野球人生に大きく影響を与えた方々にお願いをして、惜別のメッセージをいただく。その時に、知らなかった一面を知る。バックボーン、それら選手に周囲が注いできた思いは興味深いのである。
季節外れの真夏日だった。プレーヤーとしての彼が持つ熱さを、思い出した。汗が噴き出すほどの暑さの中で、名伯楽へ会いにいった。
国学院大・竹田総監督のもとへ。
10月7日。東急田園都市線に揺られ「たまプラーザ駅」へ向かった。目的地は、国学院大学硬式野球部グラウンド。合宿所の一室で、その人を待った。
同大野球部の竹田利秋総監督。温和――。その一言、その表現以外が浮かばないほどのオーラと表情、たたずまい。合宿所の応接室へと、迎え入れていただいた。
「矢野が本当にお世話になりました。幸せなプロ野球人生だったと思います」
今シーズン限りで引退を決めた矢野選手のかけがえのない恩師である。大学時代に、プロへと進むレールを真っ直ぐに延ばしてくれた。導いてくれた。プロ野球選手「矢野謙次」のDNAは、ここにある。礎は、竹田総監督によって形成されたのだと、よく本人からも聞いていた。
引退セレモニー用のメッセージを収録するために、同僚と一緒に訪問した。セッティングしながらの待ち時間。矢野選手との思い出を紐解き、教えてくれた。
身体的には恵まれてはいなかったが、プロ野球選手になるという強い志を持って入学してきたこと。その1つのエピソードが、全体練習を終えると個人でジムへと通い、1人で黙々とプロへと羽ばたくために肉体を磨いていたという。ウエートトレーニングが、それほどアマを含めて野球界の練習、強化メニューとしてトレンドではなかった時代である。